パキスタン自動車工業会の報告によれば、2015年の新車市場における日本車の割合は99%だそうですが、自分で車体に日本語を書くこともするそうです。
代表的な車はスズキで、それまではラクダやロバが運搬の主役だった1968年、お手頃な価格の車を発売して以来、スズキが一人勝ちをしていて、乗合タクシーがスズキと呼ばれているほどです。
それ以外にも粉ミルクといえば明治の製品が大人気で、元気な赤ちゃんのことを「メイジ・ベビー」と呼ぶほどです。
そしてたまにおかしな日本語のタトゥーやTシャツを見ますが、どんな言葉書かれているのかちょっと心配な気もします。
パキスタンがここまでの親日国になった理由の始まりは、第二次大戦後、日本がパキスタンから綿花を輸入していた頃にさかのぼります。
当時の日本にとって、紡績業は主力産業だったので、商社マンはパキスタンをたびたび訪れ、投資も行いました。
日本への綿花の輸出とそれに関連した投資はパキスタンの発展に大きく貢献したといわれています。
そのことが今でもパキスタンの人々の記憶に残っているために、親日国なのだそうです。
日本のODAの影響も大きく、1990年代はパキスタンにとって日本のODA額が世界最多でした。
日本の戦後の急経済成長も、日本人が戦後の無の状態から真面目に働いて復興し、品質の高い製品を世界に供給して、独自の伝統文化を保持していることが尊敬されています。
IMATABI
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「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部
パキスタン人特派員、歯科医、アブダル・マジード・ライナ
「日本は文化のかけらもない野蛮な国だという先入観を持っていましたが、日本に来てみてかなり驚きましてね。で、心配している両親にすぐ手紙を書きました。野蛮な国じゃない、文化の進んだ国だ、人々がとっても親切だ、というありのままの第一報です」
「日本人 = エコノミック・アニマルというのはブット首相が名付け親ですが、その意味は『経済的に興味のある国』というほどの意味らしいんです。
パキスタンとしては、戦後経済的に素晴らしい発展を遂げた日本が羨ましい、我々も見習うべきだ、という強い尊敬の念がありましたからね。
それがアニマルだけ必要以上に強調され過ぎて、日本とパキスタンのために誠に残念です。
私は趣味が仕事だという日本人を今も尊敬しています」
朝日新聞編集委員室編「日本と私・駐日外人50人が語るニッポン(1977年)」