1984年、日本キリスト教海外医療協力隊(JOCS)で派遣されてから30年間もの長きに渡ってアフガニスタンで医療をほどこし、カブールに近いジャララバードで20km以上にも及ぶ用水路を建設した医師の中村さんは、テロの銃弾に倒れた際には、アフガンの大統領にも棺を担がれ、中村広場が作られたほど同国で尊敬された日本人です。
飢餓に苦しむアフガニスタンで全長20km を越える用水路を建設する工事を専門家なくして計画して完成させて、3.500ヘクタールに及ぶ農地を開拓、15万人分の食糧、2万7千トンの小麦ととうもろこし、そして野菜や綿(= 服)を作れるようにしました。
私も一度ドイツでアフガニスタン出身のタクシードライバーから話を聞きましたが、彼自信も中村さんをとても尊敬していましたが、祖国のアフガニスタンではだれからも尊敬されているそうです。
アフガニスタンで国家勲章、名誉市民権、日本では旭日章、第24回福岡アジア文化賞大賞、第61回菊池寛賞、第1回城山三郎賞、第4回梅悼忠夫・山と探検文学賞を受賞。
詳しい情報は是非一度 Wikipedia や ユーチューブ、「中村哲」で検索してご覧ください。
下の写真の中央が中村さん。作業を進めている間に、左隣の人が銃弾で倒れて死亡してしまい、危険を感じた中村さんは自分を残して他の日本人を全て日本に返し、水路の完成を見ましたが、その後2019年12月4日にやはり銃弾により死去。