幕末から昭和の日本人

15世紀末から約500年間の世界は、西洋の白人が世界中の有色人種の国に進出、侵略して植民地にして貪り自国の富にしていた時代でした。

 

日本も例外ではなく、西洋諸国から虎視眈々と狙われる中、植民地にならないように抵抗しました。

 

日本に最初に来たのがポルトガル人の宣教師だと言われています。

 

その頃の日本は、織田信長が活躍していた戦国時代。

 

新しい物、珍しい物、より進んだ物に目がない変わり者の織田信長は、宣教師を歓迎しました。

 

最初はキリスト教の普及だけに努めていたと思われる西洋人は、豊臣秀吉の頃には態度も傲慢になり、武士を蔑ろにする者も現れたそうです。

 

さらには、日本人を奴隷として海外に連れ出していることも判明するなど、西洋人が他国でも行なっていた悪行が日本でも行われているのが分かって馬脚をあらわしました。

 

日本人にとっては、タイミング良く戦国時代に来始めた彼らは日本の武士を見て…:

 

「日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。(中略) 国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服可能な国土ではない」アレッサンドロ・ヴァリニャーノ イタリアカトリック教会司祭(1539~1606)

 

 

彼らが伝えた鉄砲を瞬く間に量産してしまう日本という国は、彼らがそれまで苦もなく植民地にしてきた国々とは全然違うと思ったに違いありません。

 

大名も含めた多くの日本人をキリシタンにして、豊臣政権を転覆させようというポルトガル人と日本人キリシタンの悪巧みなども明るみに出て、豊臣秀吉は憤慨したそうです。

 

そこでキリスト教禁止令などが出されてキリシタンへの弾圧となり、それは徳川家康にも引き継がれて長い鎖国に繋がりました。

 

日本が西洋の植民地にならないで済んだのは、豊臣秀吉、徳川家康を筆頭に、当時の武士たちのおかげであったと言えないでしょうか?

 

その鎖国も、いよいよペリーの黒船来航によって終わらされて開国となりましたが、日本人の恐怖心は絶好調で、西洋人間を襲う事件が多発しました。

 

最も興味深い事件のひとつは生麦事件です。

 

その当時の日本の常識を知らない西洋人が犠牲になってしまった事件です。

 

西洋人にしてみれば、その事件を知れば、(自分たち西洋人の恐ろしさを棚に上げて)日本人とは恐ろしい人種だと思ったはずです。

 

事件は、薩摩藩島津の殿様の大名行列に、馬に乗っていた4人のイギリス人が遭遇した時に起きました。

 

当時の大名行列と言えば、それを目にしたら一般人は地面にひざまずき、頭を下げることは時代劇などを見て私たちでも知っています。

 

でもイギリス人は当然のことながら、そんなことは全く知りません。

 

彼らは逆に、強い抵抗を受けない植民地では恐れられていて、傍若無人に振る舞っていました。

 

でも日本は違いました。

 

言葉が通じない不幸もあったでしょう。

 

それは現在の横浜、鶴見区の生麦村という所で起きたそうです。

 

道幅が狭い通りだったそうです。

 

馬に乗ったその4人は、そのまま薩摩藩の大名行列に入ってしまうことになってしまったそうです。

 

そうなると、当然のことながら護衛の武士たちが「無礼者‼️」とばかりに斬りかかります。

 

その結果、1人は切られて死亡、2人は重症となったそうです。

 

逃げることができたひとりは、命からがらアメリカ領事館に駆け込んだそうです。

 

幕末の頃に日本で起きた外国人襲撃の事件が数多くあり、ウィキペディアにも「幕末の外国人襲撃・殺害事件」として少なくとも次の事件が出ています。

 

ハリス(初代駐日領事)襲撃未遂事件、ロシア海軍軍人殺害事件、フランス領事館従僕殺害事件、日本人通訳殺害事件、フランス公使館放火事件、オランダ船長殺害事件、フランス公使従撲傷害事件、マイケル・モース事件、ヒュースケン殺害事件、第一次東禅寺事件、生麦事件、英国公使館焼打ち事件、井土ヶ谷事件、鎌倉事件、鳶の小亀事件(フランス水兵殺害)、ハリー・パークス恫喝事件、アーネスト・サトウ襲撃事件、イギリス水兵殺害事件(イカルス号事件)、ヘンリー・スネル襲撃事件、英国水兵襲撃事件、神戸事件、堺事件、パークス襲撃事件。

 

 

当時、これだけ多くの外国人襲撃の事件が起きていたのです。

 

これはほんの一部で、例えば当時日本に来ていたイギリス外交官、A. B. ミッドフォードさんの回想録によると、当時の日本人による外国人襲撃はあちこちで起きていたそうです。

 

日本に来ていた外国外交官の外出時には、襲われないように必ず護衛が付いていました。

 

こうやって見てみると、「日本人ってかなりの野蛮人?」と思いがちです。

 

実際に、西洋人からそう思われていたはずです。

 

それが、日本が彼らの植民地にならなかった理由のひとつであれば、日本人にとっては幸運であったと言わざるを得ません。

 

本当のところは、日本人はヨーロッパ人と比べると、昔から極端に戦争が少なく平和な民族です。

 

ヨーロッパ人がいかに戦争好き、侵略好きで植民地主義に走ったかが「日本という国とは?」のページで理解できます。

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もっと良く知ろう、本当の日本を 当時のGHQ 政策(洗脳) により、本当の日本・日本人のことを知らない日本人、そして世界の人々が多過ぎる... もし本当の日本・日本人を知ると、日本人は誇りを持てる(そうさせないためのGHQ 政策でした。日本が強すぎました...)... 誇りを持てば自身につながり、襟を正せる...  自殺者80人以上/1日、親殺し、子殺しは異常です。 襟を正すと修身(道徳) の大切さが理解できるようになる... 人間が生きていくためのバックボーンである修身が重んじられると、日本が良くなる... 世界に影響する日本が良くなると、「和を以って尊しと為す」 が世界に広まる... 「和を以って尊しと為す」 が世界に広まると、個人主義が減って世界平和につながる...