日本人の発明、開発、商品化

 

日本発祥の折り紙

中国が発明した「紙」は、世界中で情報を伝えるツールや紙幣として利用されましたが、世界で唯一日本では折って形を作る折り紙として使われるようになりました。

 

紙は日本に西暦610年に伝わりましたが、室町時代の宮廷の官女が主体になって折り鶴や風船などの折り紙を始めたそうです。

 

折り紙は、正方形の紙を糊やハサミを使わずに折って形を作るというものです。折り紙で複雑な形状のものを作る時に、細かくキチッと折っていかないと綺麗に出来上がりません。

 

そこで「折り目正しい」という言葉が存在しています。世界的に注目されたのが「ミウラ折り」です。

 

東京大学の三浦公亮名誉教授が1970年に考案した折り畳み方で、専門用語では二重波型可展面と言われて、イギリスの折り紙協会がミウラ折りと名付けました。

 

ミウラ折りは、人工衛星の太陽電池パネル、折り畳み式の地図、カタログ、パンフレット、スタッドレスタイヤの切れ目、軽量の耐圧容器、缶チューハイのパッケージから潜水艦にまで取り入れられています。

 

 

トランジスタラジオ

ソニーのトランジスタラジオ TR -55は、世界初のトランジスタラジオ開発にはアメリカに譲ったものの、後継機TR -610は国内外で50万台売れる大ヒットとなり、その後のラジオは一家に一台、そして1人一台の時代へ。

 

カシオ、シャープの電卓は世界中に広まりました。

 

世界で最初の音楽を持ち歩くソニーのウォークマンも同じように世界中に広まりました。

 

家庭用ビデオシステムDVD

家庭での映画鑑賞は、一部の富裕層の贅沢であったものを世界中の庶民に普及させました。

 

現在こそ世界シェアの40%ほどにまで落ちたものの、それでも世界一のオートバイ生産、供給国。一時のシェアは70〜80%近く。

 

世界に先駆けて商品化されて世界市場を席巻した日本のセイコー、カシオのクオーツ腕時計。

 

同じくニコン、キャノンの一眼レフカメラ、そしてデジタルカメラや「写るんです」。

 

世界に広まった日本のカラオケ文化

 

過去に存在しなかった宝石として日本人が誕生させた真珠

以下はエジソンのコメントです。

「これは養殖ではなく、真の真珠だ。実は自分の研究所でできなかったものが二つある。ひとつはダイヤモンドで、いまひとつは真珠である。あなた(御木本幸吉) が動物学上からは不可能とされていた真珠を発明完成されたことは世界の脅威だ」

 

長持ちする上に調理の手間を省いた数々のレトルト食品、冷凍食品の開発と商品化。

 

古野隆雄さんが開発した、「アイガモ農法」で作る米はアジア14ヵ国以上に普及。中国では既に九州の作付面積以上に広がる。ビルゲイツ、トニーブレア首相(当時)と共にダボス会議に招待を受ける。

 

寒冷地でも実る、寒さに強くて収穫率が著しく高い米、農林1号➡︎農林100号➡︎藤坂5号は食糧難を克服

 

世界初の養殖マグロ成功〜他の養殖魚の開発

 

海水を真水に変える東レ、日東電工の世界最高級の逆浸透膜フィルターは、世界シェア60%

 

 

 

ラーメン

世界ラーメン協会の推定によれば、2013 年世界で 1055 億食以上消費される「世界食」となっている。

 

この即席麺は、安藤百福さんが自宅の庭に研究小屋を建て、1 年にわたる施行錯誤の末開発したものである。

 

彼は、妻のてんぷらをヒントに麺を油で揚げて乾燥させる製法を確立し、1958 年、 48 歳のときに世界初の即席麺「チキンラーメン」を生み出した。

 

戦後の闇市でラーメン屋台 の長い行列を見て、家で簡単に食べられたらと思ったのが即席麺開発の出発点であった。お湯 をかければ 2 分でできるチキンラーメンはたちまち評判となりました。

 

 

カップラーメン

インスタントラーメンは世界食になりましたが、その後に安藤百福が欧米へ視察旅行に出かけた時のことでした。

 

現地で訪れたスーパーの担当者たちは、「チキンラーメン」を小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べはじめました。

 

これを見た安藤さんは、アメリカにはどんぶりも箸もない、つまりインスタントラーメンを世界食にするためのカギは食習慣の違いにある、と気づいたのです。

 

そしてこの経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発に取りかかりました。

 

新製品の開発は、容器を作ることから始まりました。安藤が理想とする "片手で持てる大きさの容器" を見つけ出すため、40種類近くもの試作品を作って検討を重ねました。

 

その結果、紙コップを大きくしたコップ型が採用されました。

 

カップの素材として選んだのは、軽くて断熱性が高く、経済性にも優れた発泡スチロール。

 

しかし、当時の日本ではまだ珍しい素材だったこともあり、薄く加工し、片手で持てる大きさに成型することは容易ではありませんでした。

 

そこで、安藤は米国の技術を導入し、自社で容器製造に乗り出したのです。

 

臭いがなく、食品容器にふさわしい品質に精製するまでには時間を要しましたが、米国食品医薬品局 (FDA) の品質基準をはるかに上回るカップを完成させました。

 

カップは完成したものの、麺をカップに収めることも難しい問題でした。

 

カップは上が広く下が狭いため、麺をカップよりも小さくすれば簡単にカップの中に入る一方、輸送中にカップの中で麺が揺れ動くので壊れてしまいます。

 

そこで考え出したのが、カップの底より麺を大きくしてカップの中間に固定する〈中間保持法〉のアイデアでした。

 

しかし、いざ麺をカップに収めようとすると、傾いたり、ひっくり返ったりして、うまくいきません。

 

寝ても覚めても考え続けていた安藤が、ある晩、布団に横たわっていると突然、天井が突然ぐるっと回ったような錯覚に陥りました。

 

「そうか、カップに麺を入れるのではなく、麺を下に伏せておいて上からカップをかぶせればいい」とひらめいたのです。

 

この "逆転の発想" によって確実に麺をカップに入れることができるようになり、工場での大量生産が可能となりました。

 

ほかにも容器のフタや具材、麺の揚げ方など、さまざまな知恵や工夫が詰め込まれた「カップヌードル」。

 

今日ではカップラーメンも世界食となり、軍や警察、消防士の非常食にもなっていますが、その後に宇宙食にまでも発展しています。

 

宇宙食ラーメン「スペース・ラム」は、無重力状態でもスープが飛び散らないようにとろみをつけ、麺を一口で食べられる大きさや形にするなど、さまざまな工夫を凝らして完成。

 

しかし、その開発の基礎となった技術は、1958年に安藤が発明した〈瞬間油熱乾燥法〉でした。

 

インスタントラーメンは発明当時から、宇宙時代にも対応する優れた食品であったことが証明されたのです。

 

「スペース・ラム」は2005年7月、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭載されて宇宙へ出発しました。

 

人類として初めて宇宙空間でインスタントラーメンを食べた野口聡一宇宙飛行士は、国際宇宙ステーションからの中継で「地球で食べるインスタントラーメンの味がびっくりするぐらい再現されていた」と報告しました。

 

 

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