世界の人たちが驚き興味を持つ明治維新は、薩長土肥の4藩が牽引しましたが、その中でも特に目立つのが西郷隆盛の薩摩藩と、高杉晋作の長州藩ではないでしょうか。
明治維新で出来た新政府、明治政府にも両藩の志士たちが政治家として多く入っています。
まだ明治政府が出来る前、驚くことにその2藩はそれぞれ、当時の世界最強の列強と単独で戦争をしていることをご存知でしょうか?
薩摩藩の場合は、大名行列に馬に乗って紛れ込んだイギリス人を「無礼者!」とばかりに殺傷した生麦事件によって、イギリス海軍の艦隊5隻から鹿児島を攻撃されました。
艦隊の砲撃により、鹿児島の市内は被害を受けましたが、記録に残っている被害や死傷者の数の比較、最終的には艦隊が去っていったことから、薩摩側の勝利と結論づけることができるその戦いは、「薩英戦争」と呼ばれています。
同じ頃、九州と山口の間、下関海峡の海を勝手に通るなとばかりに、イギリス、アメリカ、フランス、オランダの船に対して砲台から攻撃した長州藩は、それらの4ヶ国から軍艦17隻で戦争を仕掛けられて応戦しました。
両軍の死傷者の数にそれほど大きな差はありませんが、歴史上では砲台を占拠されたりした長州側の負けという結果になっています。
それにしても薩長どちらの藩も、何て気骨がある藩なのでしょうか?
相手は祖国から遠く離れた地での軍艦による攻撃だけとはいえ、恐ろしい当時の列強です。
関ヶ原の戦いでは敗軍となり、将軍15代、約260年も続いた徳川幕府の天下でおとなしくしていなければならなかった両藩が、明治政府のエンジンとなり、それが大正、昭和、平成、令和と現在の日本に続いているのがとても興味深いです。
追加で末尾に、薩英戦争についても、下関戦争に関しても、さらに詳しいことに興味のある方は、Wikipediaにも詳しい情報が出ています。