東京裁判は、まるでハリウッド映画でした。
ハリウッド映画の西部劇では、アメリカ大陸を侵略した白人は、文明をもたらす正義の味方であり、血みどろの戦いで郷土を防衛した原住民のインディアンは、未開の地の野蛮な民族でした。
敗戦国日本が被告で、戦勝国側が原告、検事、そして判事、裁判官までを務めた東京裁判は、とても裁判と呼べるものではなく、まさにリンチとしか言いようがありません。
その戦勝国側による敗戦国日本へのリンチでは、「平和に対する罪」 という、戦時中には存在しなかった、その後に作られた罪を、戦勝国によって無理やり押し付けられました。
裁判で、後から作った法律により、過去の行為を罰するというのはどういうものでしょうか?
例えばその昔、オートバイに乗るのにヘルメット着用は法律で決められていませんでした。つまり、ノーヘルが合法でした。
その後、オートバイが増えて事故も増え、ヘルメット着用は法で定められ、ヘルメットをかぶらずにオートバイに乗ると違法になりました。
その法律ができる前にヘルメット無しでオートバイに乗っていた人たちを、後から作った法律で罰することができるでしょうか。
当時の日本の首相など、敗戦国の代表者たちは絞首刑によって罰せられましたが、原爆を落とした責任者たちは無罪どころか、訴えられてもいません。
東京を含む日本各都市への大空襲の責任者たちも同じです。日本はパールハーバーという軍港を攻撃し、数千人のアメリカ軍人を殺してしまいました。
でもそれは国際法に基づいたものでした。ところがアメリカは、国際法を破って、広島、長崎を原爆にて、東京を含む主要都市への不必要な空襲で、30万人以上の一般民間人を殺害しました。
そんな比較は無意味かもしれませんが、日本軍が殺した相手は戦闘を行なうためのアメリカ軍人です。ですがその反対にアメリカ軍が殺した数十万人以上の人たちは、日本の一般人・民間人なのです。
しかもその頃の日本にはもう、お年寄りと女子ども、あるいは怪我や病気の男性しか残っていませんでした。
何十万人もの民間人を殺した責任者は罪を問われもせず、軍人を殺傷した責任者は絞首刑です。これがリンチではなく裁判でしょうか?
裁判中に、心ある公平なアメリカ人の弁護士のひとりがその点を突いてくれましたが、そこだけ英和訳はカットされ、理由は将来述べるということで裁判長から却下されてしまいました。
東京裁判の広田弘毅首相のスミス弁護士は、ウェッブ裁判長の偏った訴訟式を「不当なる干渉」と述べ、大島浩駐独大使のカニンガム弁護士は、東京裁判中にシアトルでの全米弁護士大会に出席して、「東京裁判は連合国による報復と宣伝に過ぎない」と発言。両者はウェッブ裁判長から除籍された事実が残っています。
忘れてはいけないのは、世界中の有色人種は19世紀の後半まで奴隷として西洋人(白人)に使われていたことです。
売り買いされたり、その扱い方は家畜同然でした。日本はそういう西洋からの侵略から唯一免れていましたが、元々は有色人種です。
日清戦争、日露戦争で勝利した有色人種の日本人は、アジア、アフリカから中東にかけての有色人種たちから絶賛されました。
いえ、東欧、北欧の白人たちからさえも賞賛されました。ロシアと面した東欧の国々や北欧のフィンランドの白人たちは、強国ロシアから虐げられていた弱い立場の白人たちでした。
では強国の白人たちは、その有色日本人の勝利を喜んでいたでしょうか?
第一次世界大戦後、パリ講和国際会議で日本は人種差別撤廃を訴えました。
でも無視される結果となりました。時はまだ1919年、西欧列強の国々が植民地を貪っていた時代だったので無理もありません。
第二次世界大戦後、村松剛という人が交換教授でカナダに滞在していた時に、ニューヨークタイムズの面白い切り抜き記事のコピーをお土産に、三島由紀夫氏と石原慎太郎氏に持ち帰って見せました。
ひとつはドイツが降伏した時の社説です。
「我々は勝利してよかった。だが、ドイツ人とは本来友人であり、ドイツ人は優秀だから、将来を見据えて、彼らがナチスを排除するなら、我々はドイツの再建に協力していこう」 と、書いてあったそうです。
そしてもうひとつは、日本が降伏した時の社説で、その横には恐ろしく大きなナマズのような化け物がひっくり返って口を空けているところで、「やっとこ」を手にしたGIが2,3人で化け物ナマズの牙を抜こうと格闘している漫画が載っていたそうです。
そして社説は、「この怪物は倒れたが死んだわけではない。我々はこの化け物の牙と骨を徹底的に抜き去らなければならない。この作業は戦争に勝つよりも難しいかもしれないが、アメリカは自分のためにも、世界のためにもこの作業を続けなければならない」
(村松剛さんの情報は、「勝つ日本」石原慎太郎著から)
この発想・思想が、日本人の思想、根性を徹底的に叩き直さなければならないというWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム/戦争責任洗脳計画) につながるわけです。
実際に、GHQが日本に来る時は、神風特攻隊の攻撃や、地上でも日本軍の決死の突撃を受けるなどの苦い経験をしていたので、日本人とはとんでもない人種だ、占領下の日本を統制することは一筋縄ではいかないと覚悟してきたそうです。
ところが実際には、日本人のその従順さに拍子抜けしたそうです。
出る杭は打たれるといいますが、有色人種の中で飛びぬけて出た杭で、東南アジアを植民地にしていた先進列強諸国を戦い追い出してしまった日本人は、白人たちから見てみれば、非常にいまいましい存在だったわけです。
白人から見れば、日本の欧米の東南アジア植民地侵略は、有色人種から見れば、アジアの解放です。
それでリンチだったわけです。
「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」祥伝社新書の著者、1938年生まれ、オックスフォード大学を卒業し、イギリス軍大尉としてインドに4年間駐留した後に、ファイナンシャル・タイムズ、エコノミスト誌の東京特派員、そしてロンドン・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を歴任したヘンリー・スコット・ストークスさんの見方:
「東京裁判は不正極まるものだった。全く裁判の名に値しないことは、誰の目にも明らかだ。公正という、我々(西洋)が高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇。
フェアプレーの精神を地に貶めて欺瞞を貫いた。
裁かれるべきは戦勝国側だった。
日本は、『東京裁判を受け入れた』などと誤解されているが、この間違いも正さねばならない。
東條英機などは『戦犯』として裁かれたが、戦勝国によって『判決』を受け入れさせられただけのことだ。
しかし、あんな不当な裁判を受け入れる必要はなかった。
東條の弁護人だった清瀬一郎東京裁判主任弁護人は、裁判の冒頭でオーストリアのウェッブ裁判長に『管轄権』(= 裁判所が、どれだけの範囲の事件を取り扱う権限を有するか、つまりその裁判に正当性があるかどうか)を問いただしている。この裁判には正当性がないと訴えた。
これに対してウェッブ裁判長は『その質問には後で答える』と述べたまま、裁判が終結するまで回答することがなかった。
世界史で、アジア、アフリカ、オーストラリア、北米、南米を侵略してきたのは西洋諸国だ。
東京裁判では、『世界で侵略戦争をしたのはどちらだったか』ということに目を瞑って日本を裁いた。
それは侵略戦争が悪いからではなく、『有色人種が白人様の領地を侵略した』からだった。
白人が有色人種を侵略するのは『文明化』で、劣っている有色人種が白人を侵略するのは『犯罪』であり、神の意向に逆らう『罪』であると正当化した。
日本には『喧嘩両成敗』という便利な考え方もあって柔軟だが、欧米人はディベート思考で白か黒か判定をつける。もし日本が正しいなら、間違っているのは欧米側となる。
だから、あらゆる手を使って正義は自分に側にあると正当化しようとした。
東京裁判は復讐劇であり、日本の正当性を認めることなど最初からあり得ないことだった。
日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行している間にイギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を再び植民地として領有しようと企てて、侵略戦争を戦っていた。
アジア人は日本によって覚醒されていたから、独立を守るために立ち上がって勇敢に戦った。この事実ひとつだけとっても、東京裁判が不正極まるものだったことが分かる」