原爆と大空襲の真実とその意味

1941年、東南アジアでは既に戦闘が始まり、フライングタイガーという中国空軍に化けたアメリカ軍人による日本軍への攻撃も開始されていましたが、「ハルノート」という、「あなたがたはアメリカの奴隷になるか、あるいは飢えて死ぬかのどちらかを選びなさい」 という喧嘩状を受け取り、1941年12月8日、奴隷になるくらいなら一矢報いようと日本は立ち上がりました。

 

在米大使館館員の手落ちで、宣戦布告のタイミングには落ち度を残してしまいましたが、アメリカの軍港のひとつである、パール・ハーバーへの日本軍の攻撃により、約2.400人のアメリカ人軍人が死亡しました。(その内、民間人が約50人)

 

そしてその大戦は、1945年8月15日、国際法を無視した大勢の民間人が住む広島長崎への原爆の投下によって日本が降伏して終結しました。原爆が投下される以前の段階で、東京大阪名古屋やその他多くの都市に行われていた大空襲により、日本は既に息絶え絶えの状態でした。

 

特に1945年3月10日の東京大空襲の被害はひどく、10万人以上の死者が出て、広島と長崎の原爆の被害にひけを取りません。他の各都市の空襲や、広島と長崎の原爆による使者を合わせると、ゆうに30万人以上の死亡者が出て、爆撃直後は死亡しなくても、その後その負傷が原因で死亡した人数を数えると、途方もない数の民間人が亡くなりました。

 

戦場での死者を除き、本国同士での死者を比べた場合、パールハーバーのアメリカ軍人2.400人に対して、日本の民間人はゆうに30万人を超える死者の数となります。アメリカの言い分は、「ポツダム宣言を承諾せずに徹底抗戦を続ける日本に降伏を促し、アメリカ軍人100万人、日本人900万人、合わせて約1.000万人の犠牲者を避けるため」 でした。

 

広島の原爆投下は1945年8月6日、長崎は8月9日。ところが、戦勝国同士によりドイツのポツダムで行われていた、第二次世界大戦の戦後の処理についての話し合いは7月17日から8月2日で、その結果として日本軍の無条件降伏であるポツダム宣言が、原爆投下の前に生まれていました。

 

そして広島と長崎に投下された原爆は、ひとつはウラン、ひとつはプラトニウム。なぜか二つの違うタイプの原子爆弾が使われました。しかも日本が既に息絶え絶えになっているにもかかわらずです。それが、アメリカはその二つの違うタイプの原子爆弾を、広島と長崎という民間人が多く住む現場で、天気の良い日を選んで実験したといわれるゆえんです。

 

アメリカは、こういった事実を歴史に残すのは良くないということで、GHQがあらゆる方法で証拠の隠滅を行いました。誤解をして欲しくないのは、こういうことを行ったのでアメリカ人を憎んでくださいということではありません。当時、GHQの洗脳工作によって間違った認識をさせられてしまっている誤認を訂正して欲しいのです。

 

 

次の動画はGHQの証拠隠滅を免れたものですが、後半の部分は心臓の悪い方はご遠慮下さい。


1944年 9月     

ルーズベルト&チャーチル会談で、開発中の原爆の日本投下決定。(ドイツは対象外)

 

1945年 2月     

アメリカ、イギリス、ソ連間でのヤルタ会議で、ドイツ降伏後3ヶ月以内にソ連が日ソ中立条約を破っての対日参戦が決まり、満州の権益、北方領土を要求。

 

1945年 4月    

ルーズベルト大統領が急死し、トルーマンが新大統領となる。ヒットラーは、「運命が史上最大の戦争犯罪人、 ルーズベルトを地上から取り除いた」と狂喜。その1週間ほど前に首相になった鈴木貫太郎海軍大将・枢密院議長は、アメリカ国民に対し て弔意を表す談話を発表、弔電を送る。

 

1945年 4月30日  ヒットラー自殺

1945年 5月     ユタ州で原爆投下訓練を行っていた実行部隊がテニアン島に移動。

1945年 5月  8日  ドイツ降伏。

1945年 7月15日  ニューメキシコでの原爆実験成功。

1945年 7月16日  アメリカ、イギリス、ソ連による終戦処理のためのポツダム会談開始

1945年 7月    

アインシュタイン他科学者たちが、原爆の投下は都市でなくても威力を示すことができると反対。

 

1945年 7月20日  

アイゼンハワー将軍がトルーマン大統領に、「日本は既に敗北しているので、原爆投下は全く不必要」と進言。

 

1945年 7月25日  

陸軍参謀総長代理、トーマス・ハンディー大将から、広島、小倉、新潟、長崎の いずれかに原爆投下の命令が下る。

 

1945年 7月26日  アメリカ、イギリス、中国(、後にソ連)によるポツダム宣言発表。

1945年 7月28日  鈴木貫太郎首相がそれを「無視する」と発表。

1945年 8月  6日  広島に原爆投下。

1945年 8月  8日  ソ連が参戦。

1945年 8月  9日  長崎に原爆投下。

1945年 8月14日  日本がポツダム宣言受諾。

その後ソ連が樺太と千島を占領、北海道北部への進攻を要求。トルーマンが(核の威力で) それを拒絶し、朝鮮半島の38度線以南への進攻も阻止。

 

つまり、原爆投下は1.000万人を救うために20万人を殺害するという理由さえ当てはまらず、原爆の威力を確認して、ソ連を威嚇するために見せつけるためのものだったといえるのです。原爆投下後には早速アメリカの調査団が現地入り。

 

 

 

 

日本の各都市大空襲の実態

 

1945年5月31日の記者会見で、ジョージ・C・ケニー中将は、「日本空軍は壊滅した。もはや脅威ではない」このように日本の攻撃力の壊滅がはっきりしているにもかかわらず、アメリカは1945年3月、東京に対して焼夷弾の絨毯爆撃を開始した。

 

- 中略 -  この爆撃でも、その後の64都市に対する焼夷弾爆撃でも、都市全域が目標だった。

 

ローレンス記者が伝えたところによると、この焦土作戦によって「日本の工業地域158平方マイルが焼かれ、推定850万人の市民が家を失うか、死亡した。

 

3月12日(原文のまま、正しくは日本時間、3月10日)の爆撃についてニューヨーク・タイムズの特派員はこう書いている。

 

『東京の中心地はなくなった。つい24時間前、大小さまざまな工場、住宅が建っていた首都の中心部15平方マイルが灰とくすぶり続ける瓦礫に覆われている』

 

また5月29日の横浜爆撃では『市民は群れをなして逃げ惑ったが、… 安全な場所はなかった。

 

街全体が目標だった』- 中略 -  7月の1ヶ月間だけで、マリアナから出撃したB29は約4万トンの爆弾を39の主要工業地域と13の工場に投下した。

 

- 中略 -   空軍が行った空の大搭載作戦の戦果は史上最大、圧倒的なものだった。

 

あらゆる戦争の中でももっとも激しい今度の戦争の、その中でも前代未聞と言える破壊を空軍は成し遂げつつある。

 

しかも我が方には人的、物的損失がほとんどない。

 

この9日間、B29千機を3班に分けた大編成部隊が、敵本土の14の主要工業施設と3つの主要石油貯蔵施設に1万4千トンの焼夷弾と破壊用爆弾を投下した。

 

- 中略 -   我々がこうむった被害といえば、2機の爆撃機が行方不明になっただけである。

 

これほど小さい損害で、これほど恐ろしい破壊が行われたことは戦史上例がない。

 

パールハーバー当時、イギリスの本土面積は日本列島より小さく、本土人口も日本より2800万人少なかったが、144倍の広さの帝国と連邦、32倍の領土、37倍の太平洋の領土、5億人の人口の上に君臨していた。フランスは、

 

GHQのメンバーの1人として当時日本に来ていたヘレン・ミアーズ著、「アメリカの鏡・日本」角川oneテーマ21

 

 

 

 

 

 

「韓国の大手新聞社の論説委員が社説で、日本が原爆を投下されたのは、日本が犯した罪の報いだと書いた。とんでもないことだ。

 

アメリカも原爆投下を正当化してきた。原爆投下が戦争を早期に終結させ、多くの人命が救われたというのはウソだ。

 

戦争を早く終結させるために原爆を用いる必要は全くなかった。

 

日本側にもおかしいことがある。どうして原爆を落とされた側が、『過ちは二度とおかしません』と誓わなくてはならないのか。謝罪すべきはアメリカだ。

 

東京裁判でのアメリカ人弁護士、ベン・ブルース・ブレークニーリンク氏が抗弁したように、裁かれるべきはアメリカだった。アメリカが原爆投下について謝罪をしたことはない。

 

白人は日本が先の大戦で西洋の覇権を覆すことによって、アジア・アフリカが解放されるまで有色人種を人間以下の下等な存在として見下し蔑んでいた。それはひどいものだった。トルーマン大統領は、広島、長崎に原爆を投下した直後に笑みを浮かべながらホワイトハウスで閣僚に対して、『獣を相手にする時には獣として扱わなければならない』と発言したことが記録されている。

 

トルーマン大統領だけに限らず、欧米諸国の圧倒的多数によって共有されていたものだった」

 

ヘンリー・スコット・ストークス。

ファイナンシャル・タイムズ、その後

エコノミスト誌の東京特派員、そして

ロンドン・タイムズ、ニューヨーク・

タイムズの東京支局長を歴任。

 

 

 

欧米では、あるいは多分どこの大陸でも日本人のようにやたらと謝りません。

 

欧米では、いえ多分どこでも大陸では、謝ることイコール自分の非を認めたことになるので、滅多に謝りません。

 

昔、ドイツでこういうことがありました。

 

ドイツ語を学ぶ日本人学生が車にはねられて虫の息になりました。

 

周りに集まってきた人々を見てその日本人はすまなく思ったのか、そのように言いました。

 

ところが、そういう時の「(お騒がせして)すいません」はヨーロッパの言語には存在しません。

 

謝罪の言葉しかないのです。

 

そこでその日本人は、謝って自分の非を認めたということで、ドライバーは無実となったのです。

 

車で事故を起こしたら、よほど責任の所在が明らかでないと、すぐに警察は呼びますが、警察が来て判断されるまでお互いに謝らないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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