ヨーロッパ大陸では複数の国々が隣接して、昔から次のように信じられないほど多くの戦争が続いてきました。
紀元前:
ローマ・エトルリア戦争、ローマ・サビヌ戦争、第一次メッセニア戦争、レラントス戦争、アルバとローマの戦争、第二次メッセニア戦争、ヒュシアイの戦い、シケリア戦争、第一次神聖戦争、第二次アルカディア戦争、アラリアの戦い、シケリア戦争、第一次ペロポネソス戦争、第二次神聖戦争、サミアン戦争、第二次ペロポネソス戦争、コリントス戦争、ケルトのイタリア侵攻、アレクサンドロス大王のバルカン遠征、ラミア戦争、ピュロス戦争、クレモニデス戦争、第一次ポエニ戦争、第一次イリュリア戦争、第二次イリュリア戦争、第二次ポエニ戦争、第一次マケドニア戦争、第二次マケドニア戦争、アイトーリア戦争、第三次マケドニア戦争、第一次奴隷戦争、キンブリ・テウトニ戦争、ゲルマン戦争、第二次奴隷戦争、同盟市戦争、セルトリウス戦争、第三次奴隷戦争、ガリア戦争、ムティナの戦い、解放者戦争、ペルシアの戦い、共和制ローマの最終戦争
1世紀〜10世紀:
ミルウィウス橋の戦い、ヘレスポントスの海戦、ファルスの戦い、イベリア・ペルシア戦争、ローマの英国征服、アルメニア・イベリア戦争、、コルキス・ローマ戦争、ゴート戦争、フリギドゥスの戦い、イベリア・ペルシア戦争、イベリア戦争、ゴート戦争、ラジカ戦争、フリース人・フランク人戦争、アラブ・ハザール戦争、ブルガリア・東ローマ戦争、ジョージア・ウマイヤ朝戦争、ザクセン戦争、c. 800/862–973 ハンガリーのヨーロッパ侵攻、ブルガリア・セルビア戦争、クロアチア・ブルガリア戦争、ルーシ・ビザンツ戦争、ルーシ・ビザンツ戦争、アラブ・ジョージア戦争、アンダーナッハの戦い、ルーシ・ビザンツ戦争、レクニッツの戦い、スヴャトスラフ1世のブルガリア侵攻、
11世紀〜17世紀
ドイツ・ポーランド戦争、ビザンツ・グルジア戦争、ルーシ・ビザンツ戦争、デンマークの侵略、ノルマン・東ローマ戦争、ザクセン戦争 (ハインリヒ4世)、グルジア・セルジューク朝戦争、スウェーデン・ノヴゴロド戦争、ボーサンク戦争、教皇派と皇帝派の戦争、英仏戦争、第一次バロン戦争、シャンパーニュ継承戦争、モンゴルのヨーロッパ侵攻、フリース・ドルテ戦争、モンゴルのグルジア侵攻、テルトー戦争、サントンジュ戦争、エウボイア継承戦争、ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争、フリースラント・ホラント戦争、スコットランド・ノルウェー戦争、第2次バロン戦争、ヴァルデマール1世に対する戦争、6000マーク戦争、ナバラ戦争、シチリア晩祷戦争、リンブルフ継承戦争、アウトロー戦争、スコットランド独立戦争、フランス・フランドル戦争、ゲルハイムの戦い、ディスペンサー戦争、サン・サルドス戦争、ポーランド・ドイツ騎士団戦争、百年戦争、ハールィチ・ヴォルィーニ戦争、1340–1396 ブルガリア・オスマン戦争、VetkopersとSchieringersの戦争、HookとCod戦争、二人のペドロの戦争、War of the Bands、第一次カスティーリャ継承戦争、オスマン・ハンガリー戦争、第一次フェルナンドの戦争、セルビア・オスマン戦争、ベスヴァイラーの戦い、ゲルデルン継承戦争、キオッジャ戦争、第二次フェルナンドの戦争、Gugler戦争、八聖人戦争、第三次フェルナンドの戦争、第二次グルジア・モンゴル戦争、コソボの戦い、ニコポリスの戦い、フォルミニーの戦い、アッペンツェル戦争、トルクメン・ジョージア戦争、ポーランド・リトアニア・ドイツ騎士団戦争、シュレースヴィヒ戦争、飢餓戦争、フス戦争、ゴルブ戦争、アルベドの戦い、ロンバルディア戦争、ポーランド・ドイツ騎士団戦争、アルバニア・ヴェネツィア戦争、第一次辺境伯戦争、コンスタンティノープルの戦い、十三年戦争、薔薇戦争、オスマン・ヴェネツィア戦争、モンテリーの戦い (公益同盟戦争)、リエージュ戦争、第二次オルメドの戦い、ヴァルツフート戦争、ボヘミア戦争、デンマーク・スウェーデン戦争、イングランド・ハンザ同盟戦争、第二次カスティーリャ継承戦争、オーストリア=ハンガリー戦争、ジョルニコの戦い、ギネガテの戦い、フェラーラ戦争、Lochmaben Fairの戦い、マッド戦争、クレヴォラドッソラの戦い、ロヴェレートの戦い、ソーキバーンの戦い、モスクワ・リトアニア戦争、クルバヴァの戦い、クロアチア・オスマン百年戦争、イタリア戦争(1494〜1498年)、ロシア・スウェーデン戦争(1495–1497)、ロテブロの戦い、スワビアン戦争、イタリア戦争(1499年-1504年)、マリニャーノの戦い、サン・バシサクの戦い、ゲルデルン戦争、ランツフート継承戦争、カンブレー同盟戦争、ポーランド・モルダヴィア戦争、ザクセンとエッツアルト1世の戦争、ポーランド・ドイツ騎士団戦争、スウェーデン解放戦争、オスマン帝国・ハプスブルク家戦争、騎士戦争、イタリア戦争(1522–1559)、ドイツ農民戦争、第一次カッペル戦争、第二次カッペル戦争、伯爵戦争、塩戦争、シュマルカルデン戦争、Sauðafellの戦い、第二次辺境伯戦争、ロシア・スウェーデン戦争、リヴォニア戦争、ユグノー戦争、北方七年戦争、マルタ大包囲戦、八十年戦争、グルジア・オスマン戦争、ポルトガル継承戦争、ケルン戦争、英西戦争、オランダ・ポルトガル戦争、ポーランド継承戦争、ロシア・スウェーデン戦争(1590–1595)、長期戦争 (オスマン帝国)、モルダヴィア・マグナート戦争(1593–1617)、アイルランド九年戦争、モルダヴィア・マグナート戦争(1595–1621)、カジェル戦争、シギスムンドに対する戦争、ラ・オーグの海戦、スウェーデン・ポーランド戦争、ロシア・ポーランド戦争(1605–1618)、イングリア戦争、カルマル戦争、ウスコク戦争、三十年戦争、ポーランド・オスマン戦争、英仏戦争、マントヴァ継承戦争、スモレンスク戦争、ポルトガル王政復古戦争、三百三十五年戦争、英蘭戦争、年スイス農民戦争、第一次ブレーメン戦争、ロシア・ポーランド戦争(1654–1667)、北方戦争、フィルメルゲン戦争、墺土戦争、第二次ブレーメン戦争、ポーランド・コサック・タタール戦争、ネーデルラント継承戦争、仏蘭戦争、第二次ジェノヴァ・サヴォイア戦争、スコーネ戦争、露土戦争、再統合戦争、大トルコ戦争、大同盟戦争、
18世紀:
大北方戦争、スペイン継承戦争、ラーコーツィの独立戦争、トッゲンブルク戦争、オスマン・ヴェネツィア戦争、墺土戦争(1716–1718)、四国同盟戦争、ロシア・ペルシャ戦争、英西戦争(1727–1729)、ポーランド継承戦争(1733–1738)、ロシア・トルコ戦争、オーストリア・トルコ戦争、オーストリア継承戦争、シュレージエン戦争、ロシア・スウェーデン戦争(1741–1743)、七年戦争、ロシア・チェルケス戦争、バール連盟の戦争、露土戦争(1768–1774 )、アメリカ独立戦争、バイエルン継承戦争、ケトル戦争、墺土戦争(1787–1791 )、露土戦争(1787–1792)、第一次ロシア・スウェーデン戦争、ポーランド・ロシア戦争、フランス革命戦争
19世紀
マレンゴの戦い、アウステルリッツの戦い、アハルツィヘの戦い、ソルフェリーノの戦い、リッサ海戦、スーリオーテ戦争、ナポレオン戦争、第一次セルビア蜂起、ロシア・ペルシャ戦争、露土戦争 (1806年-1812年)、第二次ロシア・スウェーデン戦争、ポーランド・オーストリア戦争、コーカサス戦争、ギリシャ独立戦争、フランスのスペイン侵攻、ロシア・ペルシャ戦争 (1826年-1828年)、Malcontentsの戦争、露土戦争 (1828年-1829年)、十日戦争 (ベルギー独立革命に続く)、十分の一税戦争、ヴァンデとChouannerieでの戦争 (1832年)、第一次カルリスタ戦争、第二次カルリスタ戦争、分離同盟戦争、ハンガリー革命と独立戦争、第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、第一次イタリア独立戦争、クリミア戦争、マフトラ戦争、第二次イタリア独立戦争、モンテネグロ・オスマン戦争、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、普墺戦争(1866)、第三次イタリア独立戦争、普仏戦争、第三次カルリスタ戦争、セルビア・オスマン戦争、モンテネグロ・オスマン戦争、露土戦争、セルビア・ブルガリア戦争、希土戦争
20世紀
伊土戦争、第一次バルカン戦争、第二次バルカン戦争、第一次世界大戦、露土戦争、ウクライナ独立戦争、ウクライナ・ソビエト戦争、ウクライナ・ポーランド戦争、エストニア独立戦争、グルジア・アルメニア戦争、アルメニア・アゼルバイジャン戦争、ラトビア独立戦争リトアニア独立戦争、リトアニア・ソビエト戦争、リトアニア独立戦争、ポーランド・リトアニア戦争、ポーランド・ソビエト戦争、ジョージア・ロシア戦争 (赤軍のジョージア侵攻)、ハンガリー・ルーマニア戦争、ジョージア・トルコ戦争、ポーランド・チェコスロバキア戦争、希土戦争、トルコ・アルメニア戦争、イタリア・ユーゴスラビア戦争、チェコスロバキア・ハンガリー戦争、アイルランド独立戦争、ヴロラ戦争、第二次世界大戦、冬戦争 (ソ連のフィンランド侵攻)、ギリシャ・イタリア戦争、継続戦争、バルト三国のゲリラ戦争、第一次タラ戦争、第二次タラ戦争、トルコのキプロス侵攻、第三次タラ戦争、ナゴルノ・カラバフ戦争、トランスニストリア戦争、ロシア・アブハジアの同盟に対する第一次ジョージア戦争、第二次ジョージア戦争、ダゲスタン戦争
の中から、内戦や内乱、革命などをのぞき、
「戦い」、「戦争」と明記あるものだけを転記
その結果、頻繁に国がなくなったり、国境線が頻繁に変化していました。例えばドイツとフランスの国境付近にある町では、昨日まではドイツ(ドイツから見て味方)だった村が、今日はフランス(敵)になったりしました。
特に国境が近いと、ある日、郊外で道を歩いていて、向こうからやって来るのが味方なのか、敵なのかが分かりません。
西洋の挨拶はそういうことから発生したと言われています。挨拶をするのは味方、敵は挨拶の代わりに敵対してくるわけです。
そこで欧米(あるいは大陸)では、子どもを早く独り立ちさせようという躾、教育が徹底されます。
子どもが生まれると普通は専用部屋、専用ベビーベッドが用意されます。日本のように親子で「川の字」で寝ません。
学校では仮に試験で満点を取り続けても、授業中に手を上げて発表しないと良い成績を取れません。
日本のように「和」が重んじられたり、「人に迷惑をかけない」などと躾けられるのとは反対に、自己主張、自己アピールを子どもの頃から叩き込まれます。
自己主張というのは、とても自己中(心的)に繋がりやすいです。そこで争いごとや戦争が多発するわけです。
それは弁護士の数にも表れています。ドイツと日本の弁護士の数を比べてみると、約4.500人の人口に対して1人の弁護士がいる日本と比べて、ドイツでは約560人に1人の弁護士がいます。(アメリカは何と約30人に1人です!)
その国民性から、日本では元々争いが少ない上に、もしトラブルが起きても弁護士を頼らずに解決してしまうのですが、欧米ではそうはいかないわけです。
但し誤解を招かないようにお願いがあります。
これらの内容は、日本人は1人残らず全て温厚な平和主義で、白人、大陸の人間が全て自己中で好戦的と言っているのではありません。
白人、大陸の人間にももちろん控え目で非戦的な人もいますし、日本にも自己中や好戦的な人がいます。
「人がいる所に泥棒あり」で、残念なことに国に関係なく悪い人はどこにでもいます。
ここで述べているのはあくまでも一般論で、過去の歴史が示している単なる事実です。
日本は元々昔から強い国でしたが、さらにはヨーロッパから最も遠くて島国であるということから、15世紀から20世紀まで約500年間も続いた欧米人による世界中の有色人種の国々に対する植民地化をほぼ唯一免れました。
それどころか、第二次世界大戦では東南アジアの国々を全て植民地にしていたアメリカ、イギリス、フランス、オランダと戦い、それが元となって東南アジア諸国は全て独立しました。
正義の味方、いわゆるホワイトナイトです。
元をただせばGHQ、そしてそれに乗った中韓政府、一部の反日中韓人、さらには地頭の悪いとしか思えない、日本を壊そうとしている反日日本人が言う、日本は東南アジア遠侵略していたというのは大嘘です。
ですが、決して奢ったり、傲慢になったりせずに、ただ単に悪いことは悪い、善いことは善いと、襟を正して凛とすることが大切です。
このサイトの主旨、希望は、GHQや一部の心無い中韓政府や中韓人、地頭の悪い反日日本人の捏造の歴史に騙されて自虐史観に陥ってしまっている日本人の中から、1人でも多くの人が真実に気が付き、誇り、勇気、元気を出し、日本に元気になって欲しいことです。