歴史は常に勝者が書きます。
敗者は押さえつけられて、それが事実ではなくても、勝者が書き放題の歴史を黙って見ているしかありません...
このページでは、15世紀の末から20世紀中頃までの約500年間の世界を、歴史を書いた支配者、西洋諸国の白人側から見るのではなく、公平に見てみたいと思います。
もし公平が言い過ぎであれば、被支配者である有色人種の側から見てみたいと思います。
ヨーロッパでは紀元前からおびただしい数の戦争が続いてきました。その数には信じられないものがあります。
そしてヨーロッパ内での戦いでは飽き足らず、帆船による大航海で彼らにとっての未開の地への侵略を始めました。
そこで15世紀の末から20世紀中頃までの約500年間は、世界の支配者である西洋諸国の白人と、被支配者である有色人種の2つに大きく分けることが出来ます。
西洋人がそれまで知らなかった南北アメリカ大陸、カナダ、オーストラリアなどを発見して侵略、多くの先住民族を虐殺したり奴隷にしてその土地を奪い取り、自分たちの植民地、続国にしてしました。
そして、マルコ・ポーロの東方見聞録などで知ってはいても、遠い彼方の未開の地とされていたアジア、さらにはアフリカにも侵略し、植民地時代と呼ばれる500年間となりました。
植民地を持つ理由は、胡椒や塩などの香辛料やお茶の他にも、金、銀、銅、ダイヤモンドなどの鉱物などの現地の産物を、現地の先住民族を奴隷として強制労働させ、本国を富ませることができたからです。
15世紀の末からしばらくの間は、スペイン帝国とポルトガル王国の2ヶ国が世界を支配して、その後は大英帝国、フランス、オランダが、広大な海外植民地帝国を支配するようになって巨大な富を得ました。
その富は、虐げられた植民地の先住民族の強制労働と、植民地の産物の奪取の上に成り立っています。
1494年6月7日に、スペイン帝国とポルトガル王国の間で結ばれたトルデシリャス条約というものがあります。
その条約がどういうものかと言うと、スペイン帝国とポルトガル王国が、アメリカ大陸の右寄り、現在のブラジルの辺りで地球を縦の線で2つに分けて支配するというのもでした。
右側からヨーロッパまでをポルトガル、左側をスペインが支配するという、今から考えるととんでもない条約でした。
その影響が今日でも残っていて、ブラジルではポルトガル語が話されて、他の南米諸国ではスペイン語が話されています。
その頃を大航海時代と呼びますが、後に大英帝国、フランス、オランダ他の西洋諸国が加わり、最後には1776年に建国したアメリカまで、その植民地主義に加わりました。
植民地主義とは、なるべく多くの植民地を抱えて自国を富ます主義です。
さてところで、どうして戦争は起こるのでしょうか?
それは相手(国)を尊重せずに自己主張して、自分(自国)の欲で突っ張るからではないでしょうか?
ひどい例はアフリカの奪い合いです。
アフリカの国境には真っ直ぐな直線があるのはなぜでしょうか?
1884年、ドイツのビスマルクが西洋諸国に声をかけてベルリンに集まり、どの国がアフリカのどの部分を植民地にするかを決めました。
中東にも真っ直ぐな国境線があるのは、同じようにイギリスとフランスのサイクスピコ協定によるものです。
そのようにして西洋人に勝手に決められた国境線は、同じ支配者である白人同士で決めたアメリカとカナダの真っ直ぐな国境線とは違い、そこに元々住む民族たちを無視しています。
よって、その国境線地域では今日でも内戦や内乱、悲惨な殺し合いが起きています。
なぜそのような国境線地域では内戦や内乱が起こるのでしょうか?
そこに住む民族のことを無視した国境線によって勝手に国が分けられると、国によって思想などが違ってしまうからです。
分かりやすい例は韓国と北朝鮮です。
元々は朝鮮というひとつの国でしたが、第二次世界大戦で分断されてからは敵国同士になってしまっています。
その当時は白人にとって、私たちのような黄色人種や黒人は、人間とは認められていない時期でした。
日本人は白人から「黄色い猿」 と呼ばれていたのをご存知でしょうか?
有名な例ではあのヒットラーや、当時のアメリカの大統領も、私たちのことをそう呼んでいたそうです。
「唯一の文明社会であるはずの白人世界で、最大の栄華を極めていた大英帝国が、有色人種(日本)に滅ぼされるなど、思考の範囲を超えている。理性によって理解することのできない出来事だった。『猿の惑星』という映画があったが、まさにそれが現実となったような衝撃だった。誰1人として、『猿の惑星』が現実になるとは思っていまい。映画の世界のことで、想像上の出来事だと思っている」
ファイナンシャル・タイムズ、その後エコノミスト誌の東京特派員、そしてロンドン・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を歴任した、ヘンリー・スコット・ストークス著「英国人記者が見た、連合国戦勝史観の虚妄」より。
黒人が奴隷になっていたのも、黒人が西洋人からは人間と認識されていなかったからです。
現代人にとっては、「そんな馬鹿な!」と思われるような人種差別が当時は当たり前でした。
アメリカの上流階級のお嬢さんが服を着替える時に、そばに雇われている黒人の召使いがいても、全く気にされなかったそうです。
そばにもし白人男性がいたら、お嬢さんは恥ずかしくて着替えることなどできません。
召使いの黒人は、白人と同じ人間であると思われていなかったのです。
白人がアフリカや東南アジアで行った地元民に対する手首の切り落としや、オーストラリアの先住民族であるアボリジニ人を狩ったスポーツハンティングなどは、白人が有色人種を人間とは思っていなかった証拠です。
南アメリカ大陸の東岸に到着したスペイン人とポルトガル人は、あの広いアメリカ大陸で、先住民族に対して殺戮を繰り続けて土地を奪い、西海岸まで達しました。
北アメリカ大陸の東岸に着いたイギリス人は、先住民族インディアンを虐げて追いやり、アメリカという自分たちの国にしてしまいました。
アメリカの侵略はその後も西へ西へと進み、中央部はフランスから購入、西部はメキシコと戦って奪い取り、東から西までの全てを征服しました。
1867年には、ロシアの植民地だった北部のアラスカも手に入れました。
アメリカの西に進む勢いはとどまることを知らず、ついには太平洋上のハワイにまで達しました。
ハワイがアメリカに併合される前、当時のハワイ王国の王様であるカメハメハ王は、日本に来て明治天皇に救いを求めました。
アメリカとの関係悪化を考慮した明治天皇は、ハワイにとって良い返事をすることが出来ませんでした。
そして1898年、ハワイはアメリカに併合されました。
その勢力は衰えることなく、ついに最後には日本もその標的になりました。
それが第二次世界大戦という形で現れたのです。
このようにして、15世紀末からの約500年間の植民地時代の歴史を見てみると、日本が戦った戦争が全てつながって見えてきます。
日清戦争も日露戦争も、北の大国、中国とロシアからの脅威に対抗したものでしたが、第二次世界大戦も、同じようにアメリカに対抗した戦いであったことが分かります。
唯一、第一次世界大戦は当時の同盟国であったイギリスからの依頼で参戦しましたが、それも500年間という長い植民地時代の中のひとつの小さな流れであることが分かります。
第一次世界大戦のような大きな戦争で、日本が勝利国側の一国になるということは、白人以外の有色人種としては初めての快挙でした。
そして日本は戦後のパリ講和国際会議に参加し、そこで人種差別撤廃案を提出しました。
人種差別をやめて、植民地時代に終止符を打ちましょうという提案です。
多数決では11対5と賛成が多かったのですが、議長国のアメリカに反対されて、その提案は実りませんでした。
反対の理由は、そんな大事なことは全員賛成でないと議決できないというものでした。
人種差別が当たり前だった国々にとっては、とんでもない提案だったわけです。
有色人種である日本人が、それまで白人たちが独占していた世界の支配秩序の殻を破って仲間入りをして、さらには人種差別撤廃などと言うのですから、白人から憎まれないわけがありません。
そこで生意気な、憎っくき「イエローモンキー」となるわけです。
ですが、1919年にかなわなかったその日本の願い、「人種差別撤廃」という提案は、約30年後の第二次世界大戦で日本は敗戦したものの、日本が助けた植民地国全ての独立によってかなうことになりました。
誤解を招かないようにお願いがあります。これらの内容は、日本人は1人残らず全て温厚な平和主義の被害者で、白人、大陸の人間が全て悪いと批判しているのではありません。
白人、大陸の人間にも善い人はいますし、逆にとんでもない日本人の悪人もいます。
「人がいる所に泥棒あり」で、残念なことに国に関係なく悪い人はどこにでもいます。
ここで述べているのは、過去の歴史が示している、あくまでも一般的なことを騙されずに理解することです。
このサイトの主旨、希望は、捏造の歴史に騙されて自虐史観に陥ってしまっている人の中から、1人でも多くの人が真実に気が付いてくれて、誇り、勇気、元気を出し、日本が活気を取り戻すことです。
ですがそこで決して奢ったり、傲慢になったりせずに、悪いことは悪い、善いことは善いと、襟を正して凛としてもらうことです。