1980年代の後半に日本は南アフリカにとって最大の貿易相手国ですが、日本の伝統文化に興味を持つ人が多く、生花、盆栽、錦鯉、囲碁などの協会が存在し、空手、柔道、柔術、相撲、剣道といった日本武道の愛好家も多くいます。
1930年の世界恐慌の際に、南アフリカ産の羊毛が大打撃を受けた時に、日本は羊毛の輸入先をオーストラリアから南アフリカに変更して支えたことも親日度を高めた理由のひとつになっています。
南アフリカは、1948年に「アパルトヘイト」という人種隔離政策を行いましたが、それに対して国際社会は経済制裁を実施して、南アフリカ経済は停滞しました。
その後の1961年、南アフリカの内務大臣ヤン・デクラークは、「日本人は人種別集団地域法に関する限り白人として扱う」と宣言して、日本人を「名誉白人」として扱い、白人同様の権利を与えました。
これは差別される他の人種のことを考えると微妙なことでしたが、南アフリカが日本に対しては特別だったことには間違いありません。
その後、国際社会の締め付けはさらに厳しくなり、南アフリカからの鉄鉱石の輸入禁止や、観光ビザの発給停止などがおこなわれました。
ですが日本は、直接投資は禁止したものの、貿易に関しては民間企業の自主的判断に任せるという緩い対応をとりました。
そこで日系企業はさまざまなな形で南アフリカに進出して、南アフリカを助ける結果になりました。
国際社会は日本に対して厳しい目を向けましたが、南アフリカは助かって両国の絆はますます強くなりました。
南アフリカにはトヨタが22万台、日産が6万台の製造能力の工場を置き、ブリヂストンやNGKセラミックス、NGKスパークプラグなどが直接投資をおこない、三菱商事がフェロクロムの採掘と精錬事業を直営していることも親日度を高めることにつながっています。
南アフリカで日本に親近感を持っていたのは、以前は支配者層の白人だけでしたが、アパルトヘイトが撤廃されてからは、黒人も武道などを通じて日本への関心を高めてくれています。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部