ミャンマー

ミャンマーといえば、他のアジアの国々と同様、日露戦争の日本の勝利が興奮を持って受け止められた国です。

 

そして第二次世界大戦後、政府高官、ジャーナリスト、教師などの知識人は、「イギリスの残虐な圧政から逃れたのは日本のお陰もあります」と言うそうです。

 

学校教育では、「ミャンマー(当時はビルマ)がイギリスに支配されて苦しんだ事実と、日本がミャンマーのために戦ってくれた史実」を教えているそうです。

 

ミャンマー独立のために独立運動家たちへ軍事教練を行った「南機関」の鈴木敬司陸軍大佐は、今でもビルマ人の英雄だそうです。

 

第二次世界大戦のインパール作戦が

も有名ですが、それは日本が敗退した戦闘で、敗走する多くの日本兵が現地の村人によって助けられました。

 

それでも彼らにしてみると、敗走する日本兵を十分に助けられなかったという負い目があるそうです。

 

日本兵を助けていることが露見すると、イギリスに爆撃されたりするので、もっと助けたくてもそれがままならなかったそうです。

 

最後は日本と敵対してしまったものの、ミャンマーが独立できたのは日本のお陰という受け止め方をしているので、親日感情が強いそうです。

 

戦後の賠償交渉も、なるべく自国に有利にと様子見が多いアジア諸国の中で、最も早く決着をみたそうです。

 

ミャンマーがなぜ新日なのかの理由の根本には、稲作農耕民族、和を重んじる、温厚・温和な性格、相互扶助を重視、謙譲を美徳、

 

礼儀正しさを重んじ、殺生を避けて軍隊の戦いでも代表を出し合って決着を付ける(= なるべく死傷者を減らす努力)、一般人に迷惑をかけない、平和思考である点が、両国の間で同じであることだそうです。

 

さらには、世界中のイギリスの植民地で虫けらのように扱われた最も過酷な統治が行われた結果の反英感情が強く、そのイギリスに対して日本が戦ったからです。

 

ミャンマーは以前、中国から膨大な資金援助を受けていましたが、よこしまな野望と共に歩む未来への絶望から、その関係に急ブレーキをかけて、現在は日本やアメリカとの関係を深める路線に切り替えました。

 

当時の日本人の平均身長は157センチ、体重は52キロでビルマ人より小さく、「チビ助日本人」と言われたそうですが、それでも唯一植民地支配をする白人に戦いを挑みました。

 

日本に8年間滞在して帰国し、現在はヤンゴンで海運会社などの複数の会社を経営する成功者の1人は、

 

「自分の子どもたちは必ず日本に留学させる。語学、知識、技術を身につけるのも大事。でもそれ以上に重要なことがある。

 

日本人と一緒にバイトでもいいから仕事をして、日本人の真面目さ、真剣さ、おもてなしの心などを学んでほしい。

 

自分は日本人と共に仕事をしたからこそ今がある。日本人の仕事のやり方は世界一。

 

我が子を日本の厳しくとも真剣な社会で学ばせたい」

 

ミャンマーもそうですが、多くの発展途上国の道路は、先進国のODAによって作られています。

 

そういった道路を車で走っていると、急に静かになる区間があるそうです。

 

案内のドライバーが言うには、「急に静かになる所が日本の造った道路だよ」だそうです。

 

日本人の真面目さ、丁寧さからくる道路の出来上がり具合が違うそうです。

 

ミャンマーの小学校5年生の教科書には、アウンサン将軍(アウンサンスーチーさんの父)他、30人のミャンマーの国作りの礎となったリーダーたちが日本で学んだと書かれているそうです。

 

よって子どもたちも、「アウンサン将軍は日本で勉強したから立派な人物になった。私たちも将来日本で学んでミャンマーのリーダーになりたい」と言うそうです。

 

出典: 元駐ミャンマー特命全権大使、山口洋一

トイレも水道もないアジア諸国他で、公共トイレや井戸の建設、子どもたちを預かるセンター、女性を保護する支援などを続ける池間哲郎さん著「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」育鵬社

 

 

ミャンマーといえば思いつくのが、井本勝幸さんというたった一人の日本人が信じがたい貢献をしました。

 

井本勝幸さんは、他民族国家として民族間争いが多い中にひとり徒手空拳で飛び込んで、争いを収めてしまったことで有名です。

 

是非リンク先のページの井本勝幸さんの情報もご覧ください。

 

 

 

 

旧日本軍は、ミャンマー(当時ビルマ)の独立にとってもとても大きな協力者でした。ミャンマーで有名なアウン・サン・スーチーさんのお父さんは「ビルマ建国の父」と呼ばれたアウン・サン将軍です。

 

アウン・サン将軍は日本で軍事訓練を受けて、「日本の軍事訓練は厳し過ぎた。何度か自殺を考えるほどだった」というコメントを残しています。

アウン・サン アウン・サン・スーチーさんのお父さんでビルマ独立の父(BIA/ビルマ独立義勇軍創設者の1人。イギリスからの独立を目指し、日本へ脱出。30人の同士と共に日本の厳しい軍事訓練を受ける。41年、独立義勇軍創設)
 
「日本の軍事訓練は厳し過ぎた。何度か自殺を考えるほどだった。しかしラングーンが落ちた時、我々は間違っていないことを確信した。」
 
1943年8月1日、独立を宣言。しかし日本軍の劣勢は彼らに決断を迫る。独立維持の密約をイギリスから取り付けたオン・サンは、日本からの離反を決意。同士の説得を開始する。
 
独立義勇軍創設メンバーの1人、ミン・オンは、「その判断は正しい。ビルマが生き残る術は他にない。しかし、私は日本を裏切ることはできない。」と、自決の道を選んだ。
 
終戦後、イギリスは密約を無視し、再植民地化に乗り出す。但しイギリスはそれが不可能であることをすぐに悟った。日本とオン・サンらに育てられたビルマ義勇軍10万が立ちはだかった。
 

1948年1月4日、ビルマ完全独立。式典にオン・サンの姿はなかった。(47年7月暗殺 32歳)


日本に対する世界の評価
 


「父親が子どもに教え諭すがごとく、その子どもを守るがごとく、雷将軍は真の愛情をもって、ビルマ独立義勇軍の兵士全員を教え、全員をかばい、全員のことに心を砕いてくれた。ビルマ人は、その老若男女を問わず、このことを忘れることは決してない。
 
今日の世界で確固とした独立を自らのものにするためには、ビルマ独立軍のような地上軍だけに頼るわけには行かない。雷将軍は、かくてビルマ海軍の創設にも着手したのである。
 
ビルマのためにこのような骨折りをした雷将軍(=鈴木敬司大佐)は、いまや日本に帰らんとしている。われらは、ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人を末永く懐かしむ。将軍のビルマ国への貢献も、いつまでも感謝される。たとえ世界が滅ぶとも、われらの感謝の気持ちが亡ぶことはない」

「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター編
「世界から絶賛される日本人」
黄文雄、徳間文庫

 

ビルマに進撃すると、国民から熱烈な支持を受け、その兵力は5千に膨れ上がりました。3月には当時の首都ラングーンを制圧し、5月にはビルマ全土を奪還、1943年8月に一時的な独立にいたりました。

 

その後はアウン・サン将軍がイギリス側に寝返ったりして日本軍と戦ったりと、複雑な経緯を経ていますが、ミャンマーの独立を日本が直接もたらしたことにはなりませんでしたが、独立支援をおこなったことは間違いなく、それが独立の気運を高めたことも事実でした。

 

それが理由か、ミャンマーでは反日教育がおこなわれなかったそうで、親日国となっています。

 

 

「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部

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