ペルーは日本が南米で初めて国交を結んだ国であり、南米最初の日本人移民受け入れ国でもあります。
現在、ペルーで暮らしている日系人の数は、1番のブラジル約150万人、2番のアメリカ約130万人に次ぐ第3番目で約10万人です。
真面目で優秀な日系人のペルー社会における影響力は非常に強く、日系のフジモリ大統領が現れたほどです。
孫娘のケイコ・フジモリさんは落選したものの、日系人の影響力の大きさが表れました。
ペルーに対して日本は、上下水道の整備のために資金援助をおこなったり、遺跡の発掘や保存活動に協力してペルーの発展に大きく貢献してきましたが、特に親日感情を呼び起こしたのはバレーボール指導者の加藤明さんだと言われています。
加藤さんは、女子バレーのペルー代表チームを強化するため、1965年にペルーに渡りました。加藤さんは、スポ根アニメさながらの猛特訓を繰り広げました。
あまりの厳しさに逃げ出す選手もいましたが、加藤さんは選手を我が子のように面倒をみ続けました。その結果、信頼関係が生まれて選手たちは強くなり、1968年のメキシコオリンピックでは4位、1982年の世界選手権では日本を破って銀メダルを獲得しました。
加藤さんはそれから間もなく病気で亡くなりましたが、葬儀では5万人も参列し、大統領は弔意を寄せました。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部