1904年の日露戦争当時、フィンランドは帝政ロシアの支配下にありました。小さな島国の日本が、大国ロシアに勝利したことは、フィンランドの独立への大きな希望となりました。
そして1917年、ついにフィンランドは独立を果たしましたが、その後すぐにフィンランドとスウェーデンの間にある島々、オーランド諸島の領有権のことでもめました。ロシアに占領される前はスウェーデン領であったとして、スウェーデンもその揉め事に加わってきました。
1920年、両国は国際連盟に提訴します。調停の責任者は、当時国際連盟事務次長を務めていた新渡戸稲造。後に新渡戸裁定と呼ばれた解決方法は、主権はフィンランド、言葉や文化習慣はスウェーデン式というものでした。
住民が、古くからスウェーデン語を使っていたからです。オーランド等には自治権を与え、非武装中立地域としました。1921年、ジュネーブの国際連盟本部で調印が行なわれ、一滴も血が流れずに問題の解決となりました。
そして第二次世界大戦、フィンランドはドイツ、イタリア、日本側で戦いました。