フィンランドは日露戦争当時、帝政ロシアの支配下に置かれて圧政に苦しんでいました。1809年以降、ロシア皇帝がフィンランド語による出版を禁止し、戦争時に徴兵を強行したため、フィンランド人はロシアへの憎悪の念を深めていました。
そうした中での日露戦争。誰もが日本の負けを予想していた中で、日本勝利の一報がフィンランドにもたらされると、国民は拍手喝采して日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎提督は英雄として賞賛されました。バルチック艦隊はバルト海で睨みを利かせていた、国民にとっては憎っくきロシアの象徴だったからです。
小さな島国の日本が、大国ロシアに勝利したことは、フィンランドの独立への大きな希望となりました。
日本の勝利を機に、フィンランドでは独立の気運が上昇。日本もそれを後押しして、独立運動家を迎え入れて経済支援をおこなったり、33年式銃や騎兵銃などの日本製の兵器を提供。現在、世界遺産となっているスオメンリンナ島の要塞に保存されている「呉海軍造兵廠」と刻印された120ミリ砲も日本から送られたそうです。
そして1917年、ついにフィンランドは独立を果たしましたが、その後すぐにフィンランドとスウェーデンの間にある島々、オーランド諸島の領有権のことでもめました。ロシアに占領される前はスウェーデン領であったとして、スウェーデンもその揉め事に加わってきました。
1920年、両国は国際連盟に提訴します。調停の責任者は、当時国際連盟事務次長を務めていた新渡戸稲造。後に新渡戸裁定と呼ばれた解決方法は、主権はフィンランド、言葉や文化習慣はスウェーデン式というものでした。
住民が、古くからスウェーデン語を使っていたからです。オーランド等には自治権を与え、非武装中立地域としました。1921年、ジュネーブの国際連盟本部で調印が行なわれ、一滴も血が流れずに問題の解決となりました。
そして第二次世界大戦、フィンランドはドイツ、イタリア、日本側で戦いました。
独立を後押しし、領土問題も解決した日本人:
フィンランドも日露戦争で日本びいきに。日本はまた、フィンランドのロシアからの独立を後押しし、経済援助や武器供与も行った。さらにスウェーデンとの間に領土紛争が起きると、国際連盟の事務次官だった新渡戸稲造がこの領土問題を「大岡裁き」でスッキリ解決し、フィンランドは超親日国に!
ムーミンの故郷として有名な北欧の国「フィンランド」もまた、ヨーロッパ一の親日国とも言われています。フィンランドが親日国になったのは、お札の肖像画にもなった日本の有名人、新渡戸稲造が関係しています。
フィンランドとスウェーデンがオーランド諸島の領有権を争った際に、当時国際連盟事務次長に就いていた新渡戸稲造が平和的解決に導いたことから、日本に対する親愛の念を抱いてくれるようになりました。
現在でも、和太鼓などの日本独自の文化やお祭りを自国に取り入れたり、訪問した海上自衛隊を熱烈に歓迎したりと、親日ぶりを感じさせるエピソードが多数聞かれます。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部他