バングラディッシュの国旗は緑地に赤丸の国旗です。赤は太陽を表しており、緑は豊かな大地を表しています。
それと同時に、1971年に独立戦争を勝ち取ったことから、赤は独立戦争で亡くなった人達の血の色の象徴でもあり、緑はイスラム教に対抗するという意志を表明してイスラムの教えを表す緑よりも濃い色が使われています。
日本の国旗に似ているのは偶然ではありません。当時の大統領が、日本が農業国から工業国に発展を遂げたことに魅せられて、自国もそうなりたいと日の丸のデザインを取り入れたそうです。
バングラディッシュは親日国としても有名ですが、国旗を通してその想いを感じられます。
https://onsuku.jp/blog/color_knowledge_003
バングラデシュは実はアジアでも有数の親日国です。
”親日”を通り越して”敬日”とさえ言われます。
その理由の一つ目は、40年前のパキスタンからの独立時、バングラデシュの独立を欧米先進国が認めなかった時に、先進国で最初に日本がその独立を認めたことにあります。
特に今の60才以上の独立戦争を戦った人たちは、その時の感謝を今でも忘れないと口をそろえていいます。
二つ目は、独立後、度重なる災害に見舞われた際にも、JICAを中心とした日本勢が40年に亘り経済支援を続けてきたことにあります。
バングラデシュの人たちは、「日本のおかげで今のバングラデシュが存在する」と言います。
3つ目は、「日本は太平洋戦争であんなにひどい原爆を2発も落とされて国が崩壊したはずなのに、 その40年後には軍事ではなく経済面においてJapan As Number 1と呼ばれるまでに復活をした事をたいへん評価しています。
しかも中東のような天然資源ではなく完全なテクノロジーのみによって。日本はすごい」という尊敬の念があります。
「バングラデシュも天然資源がない事で外貨を得られず発展できていないが、いつか日本のように天然資源がなくても国民の力で産業発展できるようにがんばりたい」と言われます。
リンクスタッフ
https://bangla.linkstaff.co.jp/j/bangladesh.html
南アジアの親日国として知られるバングラデシュで、大正時代初期に日本を旅したベンガル人女性が残した旅行記がある。
そこには、木造家屋が建ち並ぶ間をぬかるんだ道路が走る、発展途上の日本の姿が描かれている。
バングラでは、この旅行記を題材にしたドキュメンタリー映画を製作するなどして語り継ぐ人々がいる。
来年、国交樹立50年を迎える両国。なぜ、この旅行記が脚光を浴びているのか。
取材する中で見えてきたのは、現地の人々が日本に抱く憧れだった。
ベンガル人は、バングラデシュと隣国のインド・西ベンガル州を中心に住むインド・アーリア系民族。
第二次世界大戦後の1947年までは、いずれも英国植民地下のインドだった。
旅行記を執筆したのは、後にバングラの首都となるダッカに住んでいた主婦のホリプロバ・タケダだ。
当時、工業化が進む英領インドに働き口を求めて移住する外国人が多かった。ホリプロバは愛知県出身の武田和右衛門…(以下は有料…)
毎日新聞デジタル版
https://mainichi.jp/articles/20211023/k00/00m/030/122000c