移住事業により1956年から1319人の日本人が入植しましたが、入植先に関する事前調査や 情報提供が適切に行われなかったなどの事情により、 生活の立ち上げにあたって多大な困難に直面しました。 今も、移住者との対話を通じて、課題解決に向けた対策がされています。
外務省資料、「日本と中南米をつなぐ日系人」より。
1956年〜1959年、日本はドミニカに千人を越す移民団を送り出しました。開拓事業は苦難の連続で、帰国した人も少なくありませんでしたが、残留者が頑張って日系人社会を築き上げ、二世三世はさまざまな分野に進出して行きました。
経済的には、長年にわたって日本からの開発援助がおこなわれている他、日本製品の普及率も高く、車は約7割が日本製です。
野球が盛んでレベルが高く、アメリカのメジャーリーグへの選手供給元になっていますが、若手選手の養成学校が30校ほどある中で、広島東洋カープが主宰する「広島東洋カープ・アカデミー・オブ・ベースボール」があります。
1990年に開校し、約8万坪の敷地内に4面の天然芝グラウンドや屋内練習場があり、何人ものドミニカ選手を日本に送っています。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部