国土の約9割が高地で、世界一の山岳国と言われる中央アジアの国、タジキスタンは、旧ソ連の構成国の一つで、1991年に独立しましたが、政府と反政府勢力による内戦が勃発。ソ連構成国の中でも最も貧しかった経済状況がさらに悪くなりました。
1997年に和平合意が成立したものの、政情不安は続き、国際社会の協力が必要とされていました。そこで紛争解決と平和に向けて日本が協力を申し出ました。1998年、日本政府は「国連タジキスタン監視団(UNMOT)」の政務官としてチェチェン紛争などの経験者である秋野豊さんを派遣しました。
秋野さんは、政府と反政府勢力を完全に和解させるため、危険な地域にまで入って行き、和平交渉に尽力しました。その活動ぶりから、「ラスト・サムライ」と呼ばれたほどでした。ですが、同年の7月に山岳地帯で国連関係者と共に武装集団によって秋野さんは射殺されてしまいました。
その後、自国の平和のために尽力してくれた日本人を忘れてはいけないとして、秋野さんの功績を讃えた記念碑が建てられて、いくつかの学校施設や団体に、秋野さんの名前が冠されました。2007年には、タジキスタン大統領の訪日の際に、秋野さんへの感謝が表明されました。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部