17世紀のスペイン時代、哲学者で文人のバルタサール・グラシアン・イ・モラレスは、「日本人はアジアのスペイン人である」と言いました。
「武」と「名誉」を重視する点で、日本人とスペイン人は似ているということだそうです。
今日のスペインでも、アニメ以外にも日本文化などへの関心から親日的な人が多いですが、特に結びつきが大きいのがスペインの南部、アンダルシア州のグアダルキビル川沿いにある町、コリア・デル・リオの人たちです。
この町には「ハポン」という苗字のスペイン人が600人以上住んでいます。ハポンとはスペイン語で「日本」という意味で、彼らは自分たちを日本の武士の末裔だと信じています。
今からおよそ400年前、1613年に仙台藩の支倉常長を大使とする慶長遣欧使節団の一行約200人がスペインを訪れました。
この使節団は、仙台藩主の伊達政宗がスペイン領メキシコとの通商目的のために、スペイン国王とローマ法王の元に派遣したものでした。
支倉常長はエスパーニャ国王フェリペ3世に謁見。マドリードで国王列席の下、洗礼を受けた後、イベリア半島から陸路でローマに至り、ローマ教皇パウルス5世にも謁見し、ローマでは市議会から市民権と貴族の位を認めた「ローマ市公民権証書」を与えられ、その後もマドリードに戻ってフェリペ3世との交渉を続けていました。
ですがタイミング悪く日本ではキリスト教弾圧が始まり、目的であった通商はかなわず、一行は日本に帰ることになりましたが、何人か残った日本人もいました。
現在のハポン性を名乗るスペイン人がその時の日本人の子孫であるかどうかは分からないそうですが、それ以前の古文書にハポン性は見当たらず、一行の出発から数十年後にハポン性が出現し始めたことから、使節団の残留組とハポン性の間に何らかの関係があると考えられています。
ハポン性の人々には、スペイン人には現れない蒙古斑が見られるそうで、他にもスペインの普通の稲作は水田にモミを直にまく方法が主流であるのに対し、コリア・デル・リオでは日本式の田植えが行われているそうです。
さらにはビョウブ、カタナ、ハシ、ワラジといった日本語が伝わっていたり、「理髪」という日本語を掲げたヘアーサロンがあったりと、日本とのつながりを感じさせるものが数多く存在しています。
コリア・デル・リオのカルロス・デ・メサ公園には現在、1991年に宮城県から贈呈された支倉常長の銅像が建っています。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部