革命の立役者であり最高指導者であったカストロは、キューバでNHKドラマの「おしん」や「いのち」を放映し、日本人の精神を学べと国民に訴えました。
昭和天皇崩御の際には、国をあげて喪に服してくれました。この時に国葬を行ったのは、インドとキューバの2ヶ国だけでした。
1995年の阪神・淡路大震災、1999年の東海村原子力発電所放射能漏れ事故の時に援助を申し入れてくれましたが、カストロの親日ぶりは、彼の好きな野球のエピソードからもうかがえます。
アメリカとの国交が断絶されていたために、野球が盛んなキューバの選手は国外移籍が認められていませんでしたが、日本への移籍は特別に許可し、中日のリナレス、巨人のセペダ、横浜のグリエル、ロッテのデスパイネといった一流の選手を日本球界に送り出しました。
イチローを「世界最高の打者」と評価していたことも有名です。
カストロはまた、当時のアメリカ軍による日本への原爆投下にも心を痛めてくれていて、いつか広島の姿を自分の目で見たいと思っていたそうですが、それが2003年に実現しました。
アメリカと国交を断絶していたので、日本は公式訪問として受けることはできず、専用機の給油のためという口実で日本に寄って広島を訪れ、原爆の被災者に哀悼の意を表しました。
帰国後に、日本人は原爆投下者を恨むのではなく、悲劇が2度と起こらないように世界平和を祈り続けているということに感銘を受けたと述べました。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部