Wikipedia には、「日本とエチオピアの関係」というページがあるほどです。
古くは1964年の東京オリンピックにて裸足で走って金メダルを取ったアベベ選手など、陸上選手やカレーなどで日本人にも馴染み深いエチオピアでは、街を歩いていると流れてくる歌謡曲や国歌が日本の演歌にそっくりだそうです。
エチオピアで演歌調の曲が多い理由は、1950年代に朝鮮戦争に参加したエチオピア人兵士がラジオで演歌を聞いてとても気に入り、音源を持ち帰ると母国で大ヒットしたそうです。
そこで多くのエチオピア人が演歌調の歌謡曲を作り始めて定着したそうです。
エチオピアは日本と共に、白人との戦争で勝利している有色人種の国として珍しい存在です。
有色人種の国々が、白人の支配する植民地になっていたのが当たり前であった世界の常識の中、アフリカ分割が進む19世紀末の1896年、第一次エチオピア戦争に於ける「アドワの戦い」で、エチオピア帝国はイタリア王国を破りました。
有色人種が白人を破ったことで、アフリカ、アメリカ、カリブ地域で白人に抑圧されていた黒人を大きく勇気づけました。
日本とエチオピアは、皇室の歴史の長さでも共通点があります。そこで皇室同士の付き合いも古く、1930年代に日本人女性のエチオピア皇室への嫁入りが大きな話題になりました。
日本への外交使節にに同行していたエチオピア皇族の親族アラヤ・アババ公が、日本人女性を妃に迎えたいという希望を日本側に伝えたところ、花嫁募集の新聞広告が打たれました。
申込者は20人現れて、その中から華族の女性が第一候補になり、2人の結婚にまつわるさまざまな報道がなされました。
ですがその後、エチオピア側からの連絡が途絶えがちになり、女性側からも結婚話しを辞退して、縁談のお話しは解消されてしまいました。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部
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