ウガンダでは、国民の心を掴み、「ウガンダの父」と慕われる日本人がいます。
山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」で、「富士ワイシャツ」の工場長として登場する「ヤマトシャツ(現ヤマトインターナショナル)」の柏田雄一社長がその人です。
ウガンダは、1962年にイギリスから独立しましたが、農業以外の産物がありませんでした。
ご縁があって、「国民の雇用を確保したい。あなたの会社のシャツをウガンダで作ってくれないか?」と、ウガンダ開発公社から懇願された柏田さんは、繊維産業をウガンダに定着させようと動き出しました。
ですが、いきなりつまずきました。そもそもウガンダ人は、働くということや、規律を守るという考えを持ってなく、時間を守るように言っても「ンポラ、ンポラ(= ゆっくりのんびり)」が当たり前でした。
そんなウガンダ人に柏田さんは、日本式のルール、整理、整頓、清掃、清潔、躾けを教えました。
最初は猛反発を受けましたが、根気良く続けていくうちに、次第に心が通じ合い、教えに耳を傾けてくれるようになりました。
そしてそのルールを理解してくれるようになってくれて、工場の生産性や製品の品質が向上しました。
ところが、多数の民族がいるウガンダ、1966年に民族間の争いが頻発してクーデターが起こりました。
クーデターの首謀者である国軍兵士らは、対立するガンダ族の虐殺を計画しし、柏田さんの工場にもやって来て、彼に銃口を向けながら「ガンダ族を出せ!」と迫りました。
柏田さんの工場の従業員は、その約半数がガンダ族でした。そこで柏田さんは、「この工場の社員はウガンダの国民でわが社の社員だ。身内を守るのは当然。引き渡すわけにはいかない」と、キッパリと突っぱねました。
その気迫に圧倒されたのか、兵士たちは去っていったそうです。
この毅然とした態度が、ガンダ族をはじめとするウガンダ人の心を打ち、柏田さんは政府からも注目される存在になりました。
柏田さんはその後もウガンダ発展のために尽くしていましたが、1979年にはついに内戦も起こり、柏田さんは「人喰い」と言われたアミン大統領に命を狙われ、間一髪でケニアに逃れました。
ウガンダの首都カンパラでは略奪や破壊行為が続けられ、それを心配した柏田さんが周囲の反対を押し切って工場に戻ってみると、工場は略奪と破壊で見るも無残な姿になっていました。
ところが、自宅の方は無傷で残っていました。自宅の方にも暴徒と化した兵士が押し寄せたそうですが、近隣住民たちが、「ウガンダのために尽くしてくれた日本人の家を壊すのはやめてくれ。彼はこの国に必要な人だ」と懇願して被害から逃れたそうです。
ウガンダ人を守った柏田さんが、今度はウガンダ人に守られたのです。
ウガンダの人にとって柏田さんは、国に発展をもたらしてくれた恩人であり、なくてはならない人になっていたのでした。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部