インド

インドの地下鉄は、その7割が日本の援助によって作られました。援助は資金だけではなく、日本の地下鉄の技術もでした。日本から多くの技術者がインドに渡りました。当時インド側の技術者の1人で、その後地下鉄公団の総裁になった

工事で朝の待ち合わせが8時であると、彼がその時間に現場に行くと、日本の技術者は既に全員揃って待っていました。彼は悔しかったので次の日は8時15分前に行くと、日本人はやはり既に全員揃っていました。

日本人は工事中に納期という言葉をよく使い、予定の肯定どおりに工事を進めて一日でも遅れてはならないと繰り返し言われました。そしてこれだけの大きな工事が2ヶ月半も早く終わりました。

工事が終わった後、運営の専門家がストップウォッチを持ってやって来て、秒単位まで意識した訓練を受けました。その結果、数時間遅れも珍しくないインドで、数分の誤差で運行されている唯一の交通機関となっています。
 
何時間遅れも珍しくないインドで、数分の誤差で運営されているインドの鉄道は、あてになる唯一の交通機関です。私たちがこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではありません。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳です。
 
労働に関する自分達の価値観が根底から覆されました。日本の文化そのものが最大のプレゼントでした。今インドではこの地下鉄を、「ベスト・アンバサダー」(最高の大使)と呼んでいます。
 

2005年末、当時の麻生外務大臣が
インドを訪れた時の地下鉄公団総裁のお話



西暦1500年前後に始まったポルトガルの支配から、最後のイギリスの支配後、1946年に独立するまで、インドは500年近くもの長い間、西洋人から奴隷のように非人道的な扱いを受けてきました。
 
インド独立の時に活躍したのは、日本ではあまり知られていないインド国民軍のトップ、スバス・チャンドラ・ボースです。彼の日本に関するコメントは、別のページにあるのでここでは省略しますが、当時日本軍は、インドの独立のためにイギリス軍を相手に一緒に戦いました。
 
イギリス軍は、インド人の兵隊と同じ車に乗らない、一緒に食事をしない、あげくの果てには鎖につないだりしましたが、日本人は同じ仲間として接しました。

 

 

 

1946年〜1948年、東京裁判という、名目上は裁判でも、その実際は日本が被告で、訴える原告・検事側と、それを裁く判事・裁判官側の両方が戦勝国であるという茶番劇のリンチがおこなわれました。

 

それでも戦勝国側にも、それを茶番だと指摘する心あるアメリカ人弁護士、ベン・ブルース・ブレークニー氏などもいましたが、判事の一人であったインド人のラダビノード・パール判事も、法律理論で裁判の不当性を判事側としてはただひとり訴えてくれました。

 

インドのネルー首相は、敗戦で打ちしがれた日本の子供たちのために、自分の愛娘と同じ名前である「インディラ」と命名したゾウをプレゼントしてくれました。

 

昭和天皇の崩御の際には、異例の国葬を宣言してくれたり、インド国会が毎年8月6日の広島原爆の日に黙祷を捧げてくれています。

 

昭和天皇崩御の際に国葬を行ったのは、インドとキューバの2ヶ国だけでした。

 

その理由の元になるのはインドネシアと同様、日本がインドの独立に協力したからだと言われています。

 

20世紀前半、イギリスの植民地として支配を受けていたインドは、独立を目指す運動家たちがイギリスと闘争を繰り広げていました。

 

その中には、インドでの指名手配から逃れ、1914年に日本に亡命して来たビハリ・ボースもいました。

 

当時、日本はイギリスと日英同盟を結んでいたため、ボースは国外退去を命じられましたが、社会事業家としても知られた相馬愛蔵、黒光夫妻が経営する東京のパン屋「新宿中村屋」に逃げ込んで匿ってもらいました。

 

外に一歩も出れないボースは、キッチンで隠れてカレーを作って女中たちに教えましたが、これが後の中村屋の純インド式カリーライスの売り出しにつながりました。

 

ボースは第一次世界大戦が終わるまで隠れ家を移り住む逃亡生活を続けましたが、それを支えたのが相馬夫妻の長女俊子さんで、2人は1918年に結婚しました。

 

ボースは日本国籍を取得して、日本でインド独立運動に邁進して、第二次世界大戦が始まると、インド独立連盟を立ち上げて初代議長に就任し、インド国民軍を創設してもう1人のボースと呼ばれるチャンドラ・ボースに独立運動を引き継ぎました。

 

チャンドラ・ボースは日本軍と共にビルマから東北インドに入り、インパール作戦でイギリス軍と戦いました。

 

2015年にはインドの高速鉄道に、日本の新幹線方式を採用決定、2023年には日本モデルの高速鉄道がムンバイ〜アーメダバード間を走ることになっています。

 

 

「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部

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