インドネシア

 世界に最も良い影響を与えている国は?

 

という質問に、インドネシアの国民の85%が日本という答え。

 

その背景は、インドネシアは戦前まで約350年間オランダの植民地として厳しい家畜以下の支配に耐えたという。戦争で日本がオランダ軍に勝利して追い出した後、”今度は日本に虐げられるのか...” と思っていたインドネシア人に対して、日本は誇りを持たせて技術を伝え、国の発展に貢献した。

 



初代大統領スカルノ、初代副大統領ハッタなどの指導者たちを解放。学校を設立して教育に力を入れ、民族軍を組織。但し、1945年に日本が敗戦し、再びオランダの統治下に。でも日本から習った誇りをもって独立戦争を開始。その際に日本軍人の一部である2千人以上が現地に残って命をかけて参戦。4年後の1949年に独立を達成。

 

 

インドネシア独立記念日パレード  ~異国に咲いた愛国の花~

1945年8月17日に独立宣言を行ったインドネシア。この8月17日は独立記念日としてインドネシアの祝日となり、毎年独立記念パレードが開催されている。

 



 

 

動画では、パレードの前日祭に集まったインドネシアの人々が、日本の歌である『愛国行進曲』、『愛国の花』、『太平洋行進曲』などを皆で楽しげに歌う様子が捉えられている。歌詞の意味こそ知らずに歌っているのかもしれないが、みな一様に明るく楽しげに、まるで昔を懐かしみ愛おしむかのように、声をそろえて日本のメロディを口ずさんでいる。

 

戦後の自虐史観を植え付けられた日本ではもう二度と見られない、そして日本のマスコミでは絶対に取り上げられない、身を挺してインドネシア独立を導いた日本への思いが、この動画にはありありと映し出されている。まさにそれは、異国に咲いた愛国の花。戦後教育で失われた日本人の魂のかけらが、確かにそこにはあった。

 

世界の国歌

 



 

 

インドネシアの代表的な国民食「ナシ・チャンプル(インドネシア風お惣菜御飯)」のチャンプルという言葉も、実は沖縄の「チャンプルー(混ぜこぜにする)」とつながりがあるというのは有名な話ですよね。

 

他にも「好き」を表す「suka」は、日本人が大好きなインドネシア人が日本語を真似て作った言葉という説もあるほどです(真偽のほどは定かではありませんが・・・)。

 

このように、普段でも日本を身近に感じることが出来るインドネシアでの生活ですが、その中で筆者自身の体験談から、「インドネシアは親日家が多いなぁ」と思ったエピソードを3つほどご紹介したいと思います。

 

エピソード①:インドネシア人は「韓国人と中国人は区別がつかないけど、日本人だけは区別がつく」と皆が言う

 

まず1つ目は、インドネシア人が頻繁に言う口癖みたいなものから。

 

例えば私たち日本人がインドネシア人とマレーシア人とタイ人を比べてみた場合、どの人がどの国の人か間違えずに答えることの出来る人って、そんなに多くないですよね。

 

ところがインドネシア人の多くは、韓国人と中国人の区別はつかなくても、日本人だけは区別がつくと豪語します。彼ら曰く、「日本人は目つきと服装が違う」のだそう。

実際にクタの街中で声がけをする屋台のお兄さんを見てみましょう。

 

日中韓の多くの東洋人が歩いている中で、「アンニョンハセヨ」や「ニーハオ」と声がけしつつも、相手から「I am korea!」と怒られている彼ら。一方で、数少ない日本人が通ると必ず「コンニチハ」とか「シャチョーサン」とか言いながら日本語で挨拶をしに行っています。

 

それがほぼ100%の正答率で日本人を見分けるのですから、これまたビックリです。

 

エピソード②:インドネシア人は日本のサッカー選手を良く知っている

 

少し話は逸れますが、日本のサッカーの実力は世界的にみて、せいぜい上から30番目前後です。有名どころで言うとイングランドのプレミアリーグやスペインのリーガエスパニョーラなどの主力選手は、日本も含めて、世界中にとって憧れの的です。

 

一方でインドネシアはどうかと言うと・・・、そうです、人々は普通にサッカー日本代表のユニフォームを着てたりします。キング・カズこと三浦知良選手や中田英寿選手、最近では本田圭佑選手のユニフォームを着ながら、ジャカルタのブロックMエリアのワルン(屋台)で麺をすすっています(笑)。

 

日本で言うと霞が関の真ん中でいい年した日本人男性が、インドネシア代表のレプリカユニフォームを着ながら闊歩しているようなものです。恥ずかしくないのかと心配になりますが、日本人に対して愛着がある証のひとつなのではないでしょうか。

 

エピソード③:インドネシア人は日本人の真似ばかりする

 

これは私自身がインドネシアで暮らしている中で、日々感じているエピソード。インドネシア人は日本人のことを、本当によく注目しています。

 

大した値段のサングラスをかけているわけではないのに、「このサングラスどこで買ったの?」と聞かれたりするのは日常茶飯事。

 

人の口癖を真似てケラケラ笑ってみたり、雨合羽のデザインが可愛いからと言って、自分のものと交換してくれという見知らぬインドネシア人にもたまに遭遇します。

 

単にデザインが可愛いという理由だけにとどまらず、日本人の持っているものや仕草を真似するのがカッコいいという風潮が、間違いなくこの国には存在します。一言でいうとインドネシアでは日本人は、「チヤホヤされる」人種なのです。

 

暮らし始めて最初の頃は、それがもしかしたら多少のストレスになるかもしれません。「いちいち人の行動を詮索しないで!」と感じる方もいらっしゃることでしょう。

 

ですがそこは悪いように考えずに、この国における日本人の注目度をきちんと理解することで、現地の人と壁を作らないような生活のスタイルが求められるのではないでしょうか。

 

インドネシア独立戦争とスカルノ大統領とデヴィ夫人

 

まずはこの国の独立に当たっての歴史的背景から、親日感情を推し量ることが出来ます。

1945年の夏の第二次世界大戦終結を機に、インドネシアは自由の身を手にします。

 

一方でその立場を認めなかったのが、当時より約340年間この国を統治していたオランダ。オランダとインドネシアは戦争終結後も約2年間、紛争を巻き起こします。

 

その中でインドネシアの側に立ったのが日本軍だというのは、有名な話ですよね

オランダによる再植民地化を防ぐため、共に戦った日本人の姿に感動し、「インドネシア建国の父」と呼ばれる当時のスカルノ大統領が親日に傾いたことが、インドネシア国民全体による親日の始まりと言われています。

 

日本国籍を有するデヴィ夫人との結婚を成し遂げたスカルノ大統領の人生からも、いかに大統領が日本に好意を抱いていたかがわかりますよね。

 

アイドル・アニメなど日本の文化が大人気

 

映画「おしん」がインドネシアで爆発的な人気を誇り、最近ではkiroroの歌もインドネシア中で大ヒットしました。

 

ジャカルタのローカル向けの本屋には、日本が誇る名作「ドラゴンボール」や「名探偵コナン」などの漫画が所狭しと並んでいます。

 

インドネシア人のほとんどは、五輪真弓の「心の友」を日本語で歌うことができます。カーラジオからも流れてきますし、インドネシアの田舎なんかに行くと、初対面の人から「ココロノトモヨ!」と握手を求められることもしばしば。

 

日本のアイドルやアニメ、歌がインドネシアに受け入れられている理由の一つに、間違いなく、インドネシア独立戦争地における日本人の振る舞いが挙げられるでしょう。

 

インドネシアで暮らしていると、日本の文化がインドネシアで認められているのをよく見ます。「先人の日本人ありがとうございます」と感謝の念を抱く時があるのです。

 

この国で生活をしていると、上述した日本の文化だけでなく、実際の「モノ」に関しても日本を感じることが多々あります。

 

街中で走るバイクのほとんどがホンダやヤマハなどの日本メーカーのものですし、ジャカルタ近郊の鉄道車両は日本の中古電車が利用されています。

 

バスだってそうです。ジャカルタのランブータン・バスターミナルへ足を運んでみると、「網走バス」と書かれた赤いバスを見かけたときは嬉しくなりました!

 

2019年時点で、ジャカルタを中心に1,500社以上の日本企業がインドネシアに進出しており、経済面でも強固な関係を築いています。(※注①)。

 

駐在員の中には、日本では使われなくなった「モノ」がまだまだ現役として活躍している姿を見ると、望郷の思いを抱くという方も少なくありません。

 

https://reeracoen.co.id/ja/articles/1007

 

 

 

世界には日本に友好的な親日国が数多く存在するが、インドネシアは親日国の1つと言えるだろう。日本が好きなインドネシア人は非常に多いとも言われている。中国メディアの快資訊はこのほど、「インドネシアは旧日本兵の銅像まで建てている」と紹介し、なぜそこまでインドネシアは親日なのかと問いかける記事を掲載した。

 

 記事はまず、インドネシア人の対日感情は中国人には理解できないものだと紹介。中国人にとって、日本は今でも侵略してきた「加害者」であり、戦時中に日本に侵略されたことのあるインドネシアは、中国と同じ「被害者」のはずだからだという。

 

 そのうえで記事は、この銅像が1974年にインドネシアの密林で発見された台湾出身の元日本兵・中村輝夫氏であることを説明。なぜ「インドネシアが日本兵の銅像を建てた」のだろうか。記事は、終戦直後に独立宣言を行ったインドネシアに対し、それまで350年間支配してきたオランダが再植民地化を狙ったことを説明した。

 

 今はインドネシア独立戦争と呼ばれるこの戦争で、多くの日本兵が独立義勇軍に加勢し、インドネシアは独立に成功したと紹介。ただ、残留日本兵のおよそ1000人が命を落としたと伝えられている。記事は日本兵が敗戦後に残ってオランダからインドネシアを守ってくれたため、インドネシア人は日本人を憎むどころか恩義すら感じていると伝えた。「今はこれほど親日な国はないというほど親日だ」と、中国人との意識の違いを強調している。

 

 残留日本兵に対して、インドネシアはたびたび感謝を示している。勲章を受けた人は多く、独立戦争で命を落とした元日本兵は各地の英雄墓地に手厚く葬られている。中国とインドネシアはその後の歴史により対日関係は全く違う方向に発展したようだ。

 

http://news.searchina.net/id/1696811?page=1

 

 

 

 

インドネシアの道を走る車の95%、オートバイの99%が日本のメーカーのものだそうです。他にも、勿論日本の家電製品の人気が高く、メイドインジャパンが絶大な信頼を得ています。

 

アニメやJポップも大人気で、48グループのジャカルタ版である「JKT 48」をはじめとした「オタク文化」も定着しています。

 

ODAもそうですが、インドネシアの親日に最も影響しているのは、インドネシアがオランダから独立する際に日本が手伝ったこと。

 

敗戦時、旧日本軍は連合軍がインドネシアに上陸するまで治安維持と武器管理をするように命じられましたが、インドネシアの独立運動を支援することにしました。

 

独立のために戦う義勇軍に武器を横流しするだけではなく、旧日本軍の残留兵約2千人が日本に戻らずにインドネシア人を指導したり、一緒にオランダ軍と戦いました。

 

4年余りの戦いの末、1949年に独立を勝ち取ることが出来ました。犠牲になって亡くなった、旧日本軍残留兵の約千人が、ジャカルタの国立英雄墓地に葬られています。

 

 

「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部

 

 

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