まずは19世紀に日本を訪れた複数のイギリス人たちが、日本、日本人についてとてもポジティブに驚きました。その内容はこちら ⇒ イギリス人から見た日本
そして1900年に中国で起きた義和団事件では、柴五郎陸軍大将が率いる少数精鋭の日本軍人が絶賛されました。
義和団事件での日本軍の活躍は、日英同盟のきっかけを作った影の立役者としてイギリスでも有名です。
「1900年、北清事変(義和団事件)にて、欧米列強諸外国公使館を襲う約20万の義和団の攻撃から、3千人以上の公使館員、クリスチャンをわずか500人足らずの兵士で最後まで防ぎ守る。
日本兵が最も優秀であることは確かだし、士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。
日本兵の勇気と大胆は驚くべきものだ。わがイギリス水平がこれに次ぐ。しかし日本兵はずば抜けて一番だと思う」
イギリス公使館の公使、ランスロット・ジャイル
「少なくとも500名 の兵を必要とする王府の城壁を守るのに、わずか十数人の義勇兵しかいなかったが、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。
この小男は、 いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。彼は部下を組織化し、前線を強化した。彼はなすべきことは全てやった。
自分はこの男に傾倒してしまった。自分は まもなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるであろう。
...なぜか自分は日本兵のそばから離れることができなくなってしまった」
シンプソンイギリス義勇兵
その数年後の日露戦争での日本の勝利は、世界中を驚かせました。誰もが日本の負けを予想していたのです。
それまで大国ロシアに虐げられていた東欧諸国や中東、トルコなどは、それをまるで自国のことのように喜んでくれました。
日本の勝因の大きな理由のひとつが日英同盟でした。
資金の面だけではなく、ロシアのバルチック艦隊が、遠いバルト海から日本海まで来る途中でも、あちこちの植民地を通じて、さまざまな妨害工作を行なってくれました。
第二次世界大戦は不幸にも敵国同士になってしまいましたが、そんな中でも雷(イカズチ)艦長工藤俊作海軍中佐は、イギリスの沈没艦から投げ出された422人の漂流イギリス兵を発見、雷の乗組員がわずか220人であるにもかかわらずにイギリス兵を救助して賞賛されたりしました。
イギリス人が日本人をどう見ているかは、「イギリス人から見た日本人」のページにある、キャサリン・サムソン 英国外交官夫人のコメントがよく表しています。
「日本人とイギリス人の基本的な類似点は、派手よりは地味を好むこと、静かで落ち着いた態度を好むということです。
イギリス人は謙虚さを好み、理想とします。従って自慢とか、謙虚さのない知識のひけらかしを嫌い、そういう人たちを信用しません。
この傾向は日本人になるともっと強くなります。だから自慢したり威張ったりする日本人に会うと、私たちの方が驚いてしまいます。
日本人は非常に謙虚な国民 で、慎み深い振る舞いや言葉遣いがすっかり身に付いています。彼らも他の国民のように誇り高いのですが、自慢することを嫌います。
日本人としての誇りを持ち、かつ外国人から学ぼうという謙虚な姿勢のために、日本は今日の世界の中で重要な位置を占めるようになったのです。