アルベルト・アインシュタイン ドイツ物理学者 (1879-1955)
「この数週間、私は日本を科学的国家として尊敬するばかりではなく、人間的見地からも愛すべきに至った。私が1カ月に余る日本滞在中、特に感じた点は、地球上に、日本国民のような謙譲で篤実な国民が存在していたことを自覚したことだ。
世界各地を歴訪した私にとって、このような純真な心持ちのよい国民に出会ったことはない。また、私の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく日本家屋の構造も自然に適い、一種独特の価値がある。
私はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。西洋と出会う以前に日本人が本来持っていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものだ。
日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれる一つの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。・・・
個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか? 私にはそう思えません。この伝統が発達してきた のは、この国の人に特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優れていると思われる同情心の強さゆえでありましょう」
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)
「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを」
「日本賛辞の至言33選」 波田野毅、ごま出版
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
ドイツ医師・博物学者(1796~1866)
1859年、100万人都市として世界最多人口の江戸にて...
「江戸では、人が足繁く訪れる場所、寺の境内などの壁や板垣のそばに、およそ2フィートの四角の箱がよく置かれている。
そこではさまざまな小間物の必需品、楊枝などがしっかりと値をつけて販売されているが、売り手はいない。客は何でも好きなだけ手に取り、お金を足元にある小さな引き出しの中に入れる。世界で最も人口の多い都市のひとつがこうである。この商売は貧しい家族、貧しい人々を支えるために、全ての町人たちとの信頼関係により成り立っている」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店
エンゲルベルト・ケンペル ドイツ医師、博物学者(1651~1716)
「よく団結し、親和的で、神々は当然崇敬すべく、法律は当然遵守すべく、主君には当然服従すべく、隣人は当然愛し尊敬すべく教え込まれていて、慇懃、懇篤、高潔である。美術工芸の面では他の全ての国民を凌駕している」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」
黄文雄、徳間書店
「旅館の主人らの礼儀正しい対応から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折にわれわれが気づいたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人に優るものはない。のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名にいたるまで大変礼儀正しいので、われわれは国全体を礼儀作法を教える高等学校と読んでもよかろう」
「日本賛辞の至言33選」 波田野毅、ごま出版
「とあるポルトガル船がオランダ人に拿捕され、ポルトガル国王の戦争計画書がオランダ人の手に渡るという事件が起こった。
その計画書には、日本のキリスト教の協力を得てポルトガルが日本を攻撃して政権を奪取するという内容が書かれていたので、オランダ人はそれをすぐに将軍に差し出した。
九州の大名たちの中には、伝道師たちに港を開放していた者がいたため、幕府はまず大名たちに疑いに目を向けた。
勿論大名たちは将軍に対して、あらかじめ血判を押して忠誠を誓っていたのだが、外来の宗教であるキリスト教はあたかも地獄の神であるかのように幕府を苦しめた。
追えども追えどもこの地獄の神は、いつも姿を変えては次々に日本人の前に姿を現したのである。
この機を逃さず、オランダ人は幕府に次のように進言した。
『キリスト教の坊主ども(= スペイン人とポルトガル人)を完全に絶滅させなければ、日本はこの危機から逃れることは出来ない』
だが幕府の疑念が消えたわけではなかった。彼らはまずこう疑ったのである。
『オランダ人もまたキリスト教徒ではないか』
これに対してオランダ人は次のように釈明した。
『確かに私たちはキリスト教徒である。しかし信仰の内容が違う。私たちはローマ教皇の下に立っているのではない。それどころかカトリックの坊主どもとは対立関係にある。私たちが日本に来ているのは、ただ交易のためだけなのである』
幕府はひとまずこの説明に満足した。オランダとの貿易がストップすれば、幕府も舶来の高級な品物を手に入れることができなくなるのであり、それは好ましくなかった」
B・M・ボダルト=ベイリー著
「ケンペルと綱吉」
ブルーノ・タウト 近代ドイツの大建築家(1880~1938)
京都の桂離宮を見て...:
「泣きたくなるほど美しい。現代における最大の世界的奇跡」
「簡単な記述によってその美を如実に伝えることは全く不可能である」
「純日本的な、しかも全く独自な新しい美」
「すぐれた芸術品に接する時、涙はおのずから眼に溢れる」
「自然的な簡素のうちに精妙をきわめた天才的な細部をいくつとなく発見する。用材の精選とその見事な加工、あくまで控え目な装飾... 私はもはやこれを表現すべき言葉を知らない」
「日本美の再発見」「日本文化私観」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店
「日本賛辞の至言33選」波田野毅、ごま書房
ハインリッヒ・シュリーマン
幕末の頃、トロイア遺跡発掘を行う6年前、明治政府が出来る3年前に中国と日本を訪れたドイツ人考古学者(1822-1890) 清国ではかなり不快な思いをしたようです。
「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は工芸品において、蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。
それに教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」
『シュリーマン旅行記 清国・日本』ハインリッヒ・シュリーマン著
講談社学術文庫 日本の世界一
「あの国」はなぜ日本が好きなのか
「ニッポン再発見」倶楽部
「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」
「日本賛辞の至言33選」波田野毅、ごま書房
税関での荷物のチェックの際に、荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏2人にそれぞれ1分ずつ渡すと、彼らは胸を叩いて『ニッポンムスコ』と言って袖の下を断った」
シュリーマン旅行記・清国・日本
フランス語による著「シュリーマン旅行記」
「税関での荷物のチェックの際に、荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏2人にそれぞれ1分ずつ(お金を)渡すと、彼らは胸を叩いて『ニッポンムスコ』と言って袖の下を断った。心付けにつられて義務をないがしろにするするのは尊厳にもとるというのである。
おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、大変好意的で親切な対応だった。彼らは再び深々とお辞儀をしながら『サイナラ(サヨナラ)』と言った」
「私はこれまで世界のあちこちで不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の町は汚れている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。町並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている」
「ごみ屑、残滓、何でもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷ができている。ところどころに深い穴が口を開けているので、馬に乗っている時はよほど慎重でなければならない」
「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてからこの国を訪れてみたいという思いに身を焦がしていたのである」
「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で縁どられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。(中略) 竹製のござ(畳)で覆われている。ござは、長椅子やソファ、テーブル、ベッド、マットレス… おそらく日本人がその存在も使用方法も知らないものの代わりに使われている。実際日本には家具に類が一切ない」
「家族全員が、その周りに正座する。めいめい碗を手に取り、2本の箸でご飯と魚をその小さな椀に盛り付けて、器用に箸を使って、我々の銀のフォークやナイフ、スプーンではとても真似のできないほど素早く、しかも優雅に食べる。食事が終わると主婦が椀と箸を片付け、洗って、引き戸の後ろの棚に戻す。
こうして食事の名残りは、瞬く間に消えてしまう。それというのも、元に戻すべき椅子も、取り除くべきテーブルクロスも、移動すべきテーブルも、たたむべきナプキンも、洗うべきコップもナイフもスプーンも、小皿も大皿も、ソース入れもコーヒー茶碗もポットも、どれひとつとして日本には存在しないという単純な理由による」
「ヨーロッパでは、食器戸棚、婦人用衣装箪笥や男性用の洋服箪笥、ヘッドボードにテーブル、椅子、それにもろもろの最小限必要とされる家具類の豪華さを隣人たちと競い合う。だから、多少とも広い住宅、いく人もの召使い、調度品を揃えるための資産が必要だし、年間の莫大な出費がどうしても必要になる。
ヨーロッパの結婚難は、家具調度を競おうとするためであり、そのための出費がかさむからである。(中略) ところが日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明が作り出した物であることに気が付いた。
寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それら抜きでも十分やっていけるのだと分かったのである。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござ(畳)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう」
「スカーフやハンカチーフはない。男性も女性も、服の袖の中にパゴダ・スリーブ(一種のポケット = 着物の奥が深い袖の中)が付いていて、そこに鼻をかむための和紙(懐紙 = ちり紙)を入れている。彼ら(日本人)は、この動作をたいそう優雅に行う。自分の家で鼻をかむ時は、この紙を台所のかまどにくべ、人の集まる場所ではこの紙を静かにたたみ、外に捨てさせるために召使いを目で探す。
召使いが見つからなければ袖に紙を閉まって、外に出た時に捨てる。彼らは我々が同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのにぞっとしている。(中略) 日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」
「(寺の)境内に足を踏み入れるや、私はそこにみなぎるこの上ない秩序と清潔さに心を打たれた。大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾り立てた中国の寺は、極めて不潔で、しかも退廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々はひなびたと言ってもいいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた」
「(寺の)どの窓も清潔で、桟には埃ひとつない。障子は破れ目のない白紙がしわひとつなく貼られている。僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこの上ない清潔さが際立っていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている」
「ここでは君主が全てであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」
「玩具の値も大変安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルグやパリの玩具製造業者はとても太刀打ちできない」
「あの国」はなぜ日本が好きなのか
「ニッポン再発見」倶楽部
オットー・カロン ドイツ、ボン大学教授
ローマ大 帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリ アのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。
だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。 平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。
それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。
われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。
第二次世界大戦後、昭和天皇は8年半の間、165日間、3万3千キロかけて、占領が続く沖縄以外の全国御巡幸を行いました。
国際常識により、石を投げられたり、暴漢に殺されてしまうと予想したGHQの高官たちの予想に反して、石一つ投げられないどころか、各地で数万の群衆にもみくちゃにされました。
F・A・ルドルフ ドイツ人ビジネスマン、1855年から下田に滞在
「日本では所有権を犯す犯罪は滅多に起こらない。その理由は、単に所有権を規定している厳しい法にばかりあるのではなく、国民の誇り高い性格の中に主として存在している。こうした性格により、日本人は嘘をついたり、物を盗んだり強奪することに、嫌悪感を持っている。この点において日本人は、中国人と著しく異なっている。」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」
黄文雄、徳間書店
ベルク プロイセン画家、オイレンブルグ交易調査使節団(1825~1884)
「書籍が安価なことと、日本人はどんな身分のものでも読書欲のあることは既に序章で述べておいた。番所にいる兵士でさえ本を読んでいるし、子どもや妻君や娘たちも熱心に読書にふけっているのが見られる。...自然、学問、芸術、技術についての研究書ないし手引書が無数にあることは、この民族の活発な知識欲を証明するものである」
「読み書き、国史、道徳哲学などについての青少年教育は、非常に熱心に行なわれている。 ...暇な時の読書は、あらゆる階級の日本人が第一にすることである」
「オイレンブルク日本遠征記」
上巻 中井晶夫訳 雄松堂書店
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」
黄文雄、徳間書店
ラインホルト・ヴェルナー プロセイン海軍エルベ号艦長
「子供の就学年齢はおそく7歳あるいは8歳だが、彼らはそれだけますます迅速に学習する。民衆の学校教育は、中国よりも普及している。中国では民衆の中でほとんどの場合、男子だけが就学しているのと違い、日本ではたしかに学校といっても中国同様私立校しかないものの、女子も学んでいる。
日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書くために、余暇を利用し、ボロをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は、全体の1%にすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?」
『エルベ号艦長幕末記』(ラインホルト・ヴェルナー著、新人物往来社)
日本の世界一