サー・アーネスト・メイソン・サトー(Sir Ernest Mason Satow、1843年6月30日 - 1929年8月26日)イギリスの外交官。イギリス公使館の通訳、駐日公使、駐清公使、枢密顧問官(『エルギン卿遣日使節録』、『ペリー日本遠征記』を読んで日本の虜になってしまう)
「空がいつも真っ青なこの国の、絵のような美しい色鮮やかな描写」、「幸福な島国」、「それはまさに日本的特徴である輝かしい日々の一日であった、江戸湾にそって進んでいくと世界中これに勝る景色はないと思われた」、「私の人生で最も活気に満ちた時代」
「エルギン卿遣日使節録」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店
「日本人の誇り」藤原正彦、文芸春秋
ラザフォード・オールコック 医師、外交官、初代駐日英国総領事(1809~1897)
「物質的文明に関しては、日本人が全ての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。機械設備が劣っており、機械産業や技術に関する応用科学の知識が貧弱であることを除くと、ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう」
「もし日本の支配者の政策がより自由な通称貿易を許し、日本人をしてバーミンガムやシェフィールド、マンチェスターなどと競争させるようになれば、日本人もそれにひけをとらず、シェフィールドに迫る刀剣や刃物類を作り出し、世界の市場でマクリフィールドやリヨンと太刀打ちできる絹製品や縮緬品を産出するだろう」
「大君の都 - 幕末日本滞在記」岩波文庫
「世界から絶賛される日本人」
黄文雄、徳間文庫
ローレンス・オリファント 駐日英国公使館1等書記官(1829~1888)
「おそらく東洋で女性にこれほど多くの自由と大きな社会的享楽とが与えられている国はないだろう。一夫多妻制は許されていない」
「我々が知ることので きた限りでは、女性の地位は東洋よりも、むしろ西洋で彼女たちが占めているところに近い。 ...これらの女性は隔離されることなく、劇場にも、食事に も、遊山にも、また草花の展示会にさえも出かけ、思うままに振舞うのである」
「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」
「人々もみな清潔だ。というのは、この町で一番見かける光景は、婦人たちが家の前、あるいは表通りに向かって開いた玄関先で、バスタブに入って身体を洗っている姿であるからだ。私は女性がこれほど清潔にしている国は他に見たことがない」
「エルギン卿遣日使節録」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店
「日本人の誇り」藤原正彦、文芸春秋
イザベラ・バード 紀行作家(1831~1904)
「世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国は無い」
「日本奥地紀行」(*)
高品健吉訳、平凡社ライブラリー
* バジル・ホール・チェンバレンが、
「日本奥地紀行」を、英語で書かれた最善の旅行記と絶賛。
「私達は三等車で旅行した。「平民」の振る舞いを是非見てみたかったからである。客車の仕切りは肩の高さしかなくて、たちまち最も貧しい日本人で満員になった。三時間の旅であったが、他人や私達に対する人々の礼儀正しい態度、そして全ての振る舞いに私はただただ感心するばかりだった。それは美しいものであった。とても礼儀正しくしかも親切。
イギリスの大きな港町で多分目にするふるまいと比べてなんという違いだろう。さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞きした。私達の最も良いマナーも、日本人のマナーの気品、親切さには及ばない」
「日本奥地紀行」イザベラ・バード
「日本賛辞の至言33選」 波田野毅、ごま出版
「氏は私の(日本東北部)内陸旅行計画をかなり無茶ではあるものの、女性がひとりで旅しても全く安全だと考えており…」(= 他の国々では、女性のひとり旅はとても危険)
「税関で私たちに対応したのは、洋式の青い制服に革の長靴をはいた小さな役人たちでした。とても礼儀正しい人々で、私たちのトランクを開けて入念に中身を調べてからまたふたを閉め、ニューヨークで同じ検査をした横柄で強欲な役人たちとは小気味のよい対象を示していました」
「私の受けた第一印象は、この国はよく統治されていいるというものです。上陸したとたん、サンパンや人力車の料金表、掲示板の広告文、きちんとした警察官、乗り物の提灯、外国貨幣の拒絶、郵便規則などなど、「規則」に出会うのですから。それにこれも言わなければならないでしょうか。ぼられることがまるでないのです!」
「清国人は日本人からなににつけても『中間摂取』をする上、日本人は清黒人の強欲さを防ぐ手立てを持たないので、日本人ディーラーから嫌味嫌われています」
「日本人の折り目正しさは、その態度や表情がほとんど卑屈なほどで、清国人は横柄と言っていいくらいに唯我独尊です」
「女性は男性のいる中を全く自由に動き回っていること、子どもたちが顔を隠さず、また地味な顔立ちをしていること、誰もが清潔できちんとした身なりであること、みんなきわめておとなしいこと、昼間日中に何千人もの人々がお寺に押し寄せているのに、みんな礼儀正しく秩序が保たれていること、1人の警官もその場にはいなかったこと。こういったことに私は深い感銘を受けました」
「ヨーロッパの国の多くでは、また多分イギリスでもどこかの地方では、女性がたった1人でよその国の服装をして旅すれば、危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。
でもここではただの一度として無作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともないのです。それに野次馬が集まったとしても、無作法ではありません。
馬子は私が濡れたり怖い思いをしたりしないかと気を遣い、旅の終わりには革ひもやゆるんだ荷が全て無事かどうかを几帳面に確かめてくれます。
そして心付けを当てにしてうろうろしたり、茶屋でおしゃべりをするために休憩したりなどせず、さっさと馬から荷物を下ろすと、運送業者から伝票を受け取って帰って行きます。
つい昨日も革ひもが一本なくなり、もう日は暮れていたにもかかわらず、馬子は一里引き返して靴ひもを探してくれた上、私が渡したかった何銭かを、『旅の終わりには何もかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任』だからと受け取ろうとはしませんでした」
「あらゆる階層で社会を取りまとめている礼儀作法は実質的に同じです。秋田の人夫は田舎者でも、東京の人夫と同じく他人との付き合いにおいて礼儀正しく丁重です。白沢の娘たちは日光の娘たちと同じく落ち着いていて品位があり礼儀正しいのです」
「この伝統的な礼儀作法は非常にうまく機能してもいるので、もしもこれが西洋式の礼儀や習慣をへたに真似たものに取って代わられるとすれば、私は胸が痛くなるに違いありません」
イギリス人旅行家、探検家、紀行作家、写真家、
ナチュラリストイザベラ・バード著「イザベラ・バードの日本紀行」
ハーバート・ジョージ・ポンティング 写真家(1870~1935)
「日本の婦人は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐れみ深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである」
「女性としての最高の美徳に溢れている」
「私は方々の国を何年も旅行したが、今まで見た中でも、最も優雅で心を奪われる都として思い浮かべるのは、この京都である」
「これほど大勢の人で混雑して、その上乗り物まで通るような道路脇で、優美で壊れやすいこんな品物を屋台に並べたり、地面の上にさえ並べたりできるのは、日本人が生来温和な国民だという証拠である。もし英国で我が同胞にこれほどの信頼が寄せられたとしたら、その結果がどうなるか考えるだけでも身震いがする」
「日本の旅館では、部屋の簡単な備品や装飾に、優美な芸術品が使われているが、その安全については、泊客の夫婦に係る問題である。だから、このような盗みが犯されれば、外国人が疑いの目を持って見られることがあっても驚くには当たらない」
「この美しい日本の工芸品(京都駒井製 象嵌小箱/https://www.antiques-store.com/item/saiku/2242.html)は、いくら見ていても決して見飽きないほどであったが、私がその真価を本当に認識したのは、スペインで最も有名な象嵌細工の工房として知られているトレドの大きな刀剣製造所を訪問してからのことである。
ある日、私は象嵌細工をしている部屋に入って行ってケースを取り出し、職人の長のの机の上にそれを置いた。その男は驚きの叫び声をあげてそれを手に取り、ひとめ見るや否や、一言も言わずにそれを持ってもうひとつの部屋に入って行った。5分後に彼は5、6人の他の男たちを連れて戻って来た。彼らは方々の部門の長であった。
この熟練した職人たちは、半時間ほど拡大鏡でケースを微に入り細に入り調べ上げてため息をつきながら、今までこれほどの品物を見たことがない、意匠の美しさにおいても仕上げの完璧なことにおいても、これに匹敵するような技術を持った者はスペインには1人もいないと言った」
「京都の自分の家で仕事をしている年取った陶器の絵付け職人が、(中略) 十あまりの木箱を取り出し、(中略)精密な絵を描いた見事な陶器を取り出して床の上にそっと並べると、(中略)外国商人は足でそれらを指しながら、「全部を買えば、どれだけ(値)引くのかね?」と聞いた。
年取った職人は、怒りに燃えた目つきでさっと立ち上がると、「どんなにお金を積んでも決して売れません」と言って素早く品物を包み、一礼して一言も言わずに出て行った。この出来事を私に話してくれたのは、その時の面喰らった商人の友人であった。日本の家では、足を使って物を指し示すほど大きな侮辱はない。
日本では陶器の絵付け職人といえども、厳格な礼儀作法を守る環境に生まれ育っている。だから彼は、自分が何週間もの間、精魂を傾けた作品がこんな侮辱を受けたのを見て、愛情こめた品物をそんな軽々しく考える者の手に渡すくらいなられむしろ一切売るのをやめた方が良いと思ったのだ」
「日本を旅行する時に一番素晴らしいことだと思うのは、何かにつけて婦人たちの優しい手助けなしには1日たりとも過ごせないことである。中国やインドを旅行すると、何ヶ月も婦人と言葉を交わす機会のないことがある(*)。
それは、これらの国では召使いが全部男で、女性が外国人の生活に関与することは全くないからだ。しかし日本ではそうではない。これははるかに楽しいことである。日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は婦人の領域であり、宿屋でも同様である。
優しい声をした可愛らしい女中たちが客の希望を全て満たしてくれるので、宿屋についてから出発するまでの間に、いつの間にか貴方にとって彼女たちの存在がなくてはならないものに感じるようになる。日本の宿屋に滞在することには、最初何かはっきり言い表せないような魅力がある。
それが魅惑的だということだけは分かるが、どれほど快適かという問題では決してないし、食事が特に口に合うからでもない。それなのに貴方は外国式のホテルの代わりに、日本風の旅館に泊まりたがるのである。
なぜだろうか? もし自分自身にそう問いかけてみれば、答えは簡単に出てくるだろう。それは日本の家に一歩踏み入れれば、そこに婦人たちの優雅な支配力が感じられるからである」
* 中国やインドでは、西洋人に危険を感じて女性を隠したのでは?
「3週間近くの間、私は毎日の大半を、2万人以上の負傷兵が収容されているこの病院の方々の病棟で過ごした(日露戦争)。その後、松山にあるロシア人捕虜のための病院で1週間過ごした後で、日本の看護婦こそまさに慈愛に溢れた救いの女神だと心底から感じたのである。
その優しい心遣い、病院の中を妖精のように素早く動き回る優雅な動作、病人の希望にすぐに応じられるような絶え間ない心配り、疲れを知らぬ気力と献身、その忍耐と熱意、患者に対する丁寧な態度、包帯を洗って交換する優しい介抱ぶり、こういったもの全てが、日本の婦人は世界にどこの婦人たちにも負けない女性としての最高の美徳に溢れていることを示している。
(中略) ロシア兵が先頃の戦争で経験したように、過去の全ての歴史において、敵と戦った兵士がこれほど親切で寛大な敵に巡り合ったことは一度もなかったであろう。それと同時に、どこの国の婦人でも、日本の婦人ほど気高く優しい役割を演じたことはなかったのではあるまいか」
「この世の楽園・日本」ハーバート・G・ポンティング著、講談社学術文庫
「あの国」はどうして日本が好きなのか?
「ニッポン再発見」クラブ
「世界から絶賛される日本人」黄文雄、徳間文庫
キャサリン・サムソン 英国外交官夫人
「日本人とイギリス人の基本的な類似点は、派手よりは地味を好むこと、静かで落ち着いた態度を好むということです。イギリス人は謙虚さを好み、理想とします。従って自慢とか、謙虚さのない知識のひけらかしを嫌い、そういう人たちを信用しません」
「この傾向は日本人になるともっと強くなります。だから自慢したり威張ったりする日本人に会うと、私たちの方が驚いてしまいます。日本人は非常に謙虚な国民 で、慎み深い振る舞いや言葉遣いがすっかり身に付いています。彼らも他の国民のように誇り高いのですが、自慢することを嫌います」
「日本人としての誇りを持ち、かつ外国人から学ぼうという謙虚な姿勢のために、日本は今日の世界の中で重要な位置を占めるようになったのです」
著書: 東京に暮らす
(1928年~1936年)