アメリカ人から見た日本と日本人

ピーター・ドラッカー アメリカ経営学著名人
「人は日本の西洋化を論ずる。だがそれは、西洋の日本化だった。日本は理論、制度、手続きの一切を輸入した。しかし日本は、それらのものを自らが育んできたシステムと構造、すなわち江戸の社会と文人に組み込んだ。事実、日本の普通教育はヨーロッパに先行していた。明治維新の成功は、西洋の日本化という視点によってのみ理解が可能である」

「歴史の哲学」ダイヤモンド社

 


「全ての文明、あるいは国の中で、日本だけは、目よりも、心で接することによって理解できる国である」

「ドラッカー名言集」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店

 

 

チャールズ・チャップリン

 

チャールズ・チャップリンと言えば、昔まだ映画に音声がなかった頃の世界的なスターです。

 

そのチャップリンには当時、使用人が10数人いましたが、その中の1人に、広島生まれで高野寅市という、1900年に15歳の時に飛行家を目指して渡米し、波乱万丈な人生を送った人がいます。

 

高野さんについてチャップリン曰く…

 

「高野は何でもする。看護夫、乳母、侍者、秘書、護衛、何でもした。彼は日本人で、私のためには何でも屋だった」

 

高野さんの働きぶりに感激したチャップリンは、使用人を次々と日本人に変え、最も多い時は17人の使用人すべてが日本人でした。

 

当時のチャップリンの妻リタ・グレイに「まるで日本人の中で暮らしているようだった」と言わせています。

 

高野さんはチャップリンの遺書の中で相続人の1人に選ばれるほど絶大な信頼を得て、撮影所内に5つの寝室付きの邸宅までプレゼントされていました。

 

高野さんに長男が誕生すると、チャップリンは自ら名付けの親となって、彼のミドルネームである「スペンサー」を与えて、高野スペンサーと命名するほど、高野に親しみを感じていたそうです。

 

やがて、高野さんは「撮影所の支配人」とまで呼ばれる存在になりました。

 

高野さんは、1916年から1934年までの18年間、チャップリンを公私ともに支え続け、その間にチャップリンは『犬の生活』、『キッド』、『黄金狂時代』、『サーカス』、『街の灯』などの傑作を生み出しました。

 

高野さんは『チャップリンの冒険』(1917年)で、運転手役で出演もしています。

 

その生涯で日本を4回訪問したチャップリンが、1932(昭和7)年の訪問時のきっかけについてのコメントが次です。

 

「日本人はみんな親切で正直だ。何をやるにつけ、信用ができる。そのため自然と日本人が好きになった。こんな人たちを作り出している日本という国は、一体どんな国だろう? 一度行ってみたいものだと思い始めた」

 

チャップリンは、ラフカディオ・ハーンの『怪談』 で日本に興味を持ち、熱心に働く高野さんに出会ったことで、ますます親日家となりました。

 

そのチャップリンの日本訪問の際に、実はチャップリン暗殺計画があったそうです。

 

時はアメリカとの開戦前で、一部の行き過ぎた青年将校たちは、有名なチャップリンを殺害すれば開戦できると考えたそうです。

 

その動きを知った高野さんは、前もって日本に行き、櫻井忠温元陸軍将校と綿密に訪日スケジュールを立てたそうです。

 

そして来日の初日、船から神戸に上陸して東京のホテルに向かう途中で皇居に立ち寄ったそうです。

 

高野さんに促されたチャップリンは車を降りて、皇居に向かって拝んで一礼しました。

 

その姿が翌日の新聞に大きく掲載されて、天皇を敬う親日家のイメージをアピールしたそうです。

 

翌日は首相官邸にて歓迎会が予定されていたそうですが、急に相撲を見に行くことで歓迎会は延期されましたが、5.15事件は正にその時に起こったのでした。

 

出展:

「チャーリー・チャップリン世界漫遊記」チャップリン著

「チャップリンの影」

「日本の世界一」

「世界を号泣させた日本人」黄文雄、徳間書店

 

  

セオドア・ルーズベルト 第26代アメリカ合衆国大統領
新渡戸稲造の武士道を手に取り、5人の子ども達に...:
「これを読め。日本の武士道の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである。 (中略) この武士道は、全部アメリカ人が修行し、また実行しても差し支えないから、お前達5人はこの武士道をもって処世の原則とせよ」
 
日露戦争のことを指して...:
「日本に同情を寄せている」  「今度の戦いは日本が勝つ」  「日本は正義のため、人道のために戦っている。ロシアは近年各国に向かって悪逆無道の振る舞いをしている。とくに日本に対しての処遇は、はなはだ人道に背き、正義に反した行為である。今度の戦も、ずっと初めから経緯を調べてみると、日本が戦をせざるを得ない立場になっている。よって今度の戦は日本に勝たせねばならぬ。そこで吾輩は影になり、日向になり、日本のために働く」

 
「日本賛辞の至言33選」波田野毅、ごま書房


ここまで親日な彼の従弟のフランクリン・ルーズベルトが、第2次世界大戦の際のアメリカ合衆国大統領であったことは、大変に皮肉なことでした。

 

 

エリザ・ルアマー・シドモア(1856〜1928)地理学者、著作家、ナショナルジオグラフィック理事、明治17年から35年まで日本各地を旅してワシントンに日本の桜を植樹、日本人を虐げた自国の日本人移民制限制作に反対してスイスに亡命、一生母国に帰らなかった。


「外国からやってくる旅行者の誰もが、この国民から深い恩恵を覚えることは確かです。それほど日本人は世界でも際立つ興味深い民族で、しかも感謝の念は特定の個人にだけでなく日本全体に強く感じます」 
 
1900年の北清事変(義和団事件)で、日本の軍隊が武勇、規律、装備、敗者への人道的処遇の点で他国より優っていて、卓抜した愛国心を発揮したと絶賛。

 

 

「私たちの泊まっている(日本の)小さな家の仕切りの薄っぺさは、壕に囲まれた敷地の無意味な城壁や城門と同様、盗人を誘惑しているように見えましたが、この理想郷には泥棒はいません」

 

「日本人は今世紀最大の謎であり、最も不可解で最も矛盾に満ちた民族です。日本人の外見と環境は、一瞬、気取り屋の国民に思えるほど絵のように美しく、芝居じみ、かつ芸術的です。

 

西洋人は、極めて優れた黄色人種の分派・日本民族の深い神秘性、天性の賢明さ、哲学、芸術、思想など名状し難い知的洗練さの前にはまるで赤ちゃん同然です。

 

日本人の理念と表現からの素早い盗用は、ルネッサンスと同じような鮮明さで西洋に一紀元を画し、既に地球の美術工房となっている」


 
「この魅力的国民に待ち受けるものは、何かとても良い運命であることは確かです」

 

「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー」
外崎克久訳、講談社学術文庫

 

  

ヘレン・ケラー 教育家、社会福祉活動家
「私は幼い時に母から、「日本には幼くして目が全く見えなくなってしまったのに、努力して立派な学者になった塙保己一という方がいました。あなたの人生の目標になる人ですよ」と聞き、苦しい時、辛い時もくじけず努力することができたのです」
 
そして日本訪問の際には...
「私は特別な思いを抱いてこの会場に参りました。いつか日本に行ってみたい。日本に行ったら必ず埼玉を訪問したいと長い間思っていました。その夢が今日かないました。それは私が人生の目標とし、苦しく、辛く、挫けそうになった時に心の支えとした人が、この埼玉ゆかりの人物であったからです。その人の名は、「塙保己一」といいます」

 

 

ヘレンケラーが日比谷公会堂を訪れた時、中村久子さんから日本人形をプレゼントされました。その日本人形は何と、中村久子さんが口で作った人形でした。

 

中村さんは、3歳の時に凍傷が元で特発性脱疽となり、両手両足を切断。見せ物小屋で「だるま娘」として継父から身売りされるなどの幾多の絶望的な苦しみを乗り越えて生きてきた人でした。

 

ヘレンケラーはその時に、「私よりも不幸な人、私よりも偉大な人」と絶賛。

 

中村さんはその時に言ったそうです。「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは、自分で生きているのではない。生かされているのだということです。

 

どんな所にも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも絶望はないのです」

 


「塙保己一とともに」境正一著、はる書房
 「世界から絶賛される日本人」黄文雄、徳間文庫

池田哲郎著「日本はなぜアジアの国々に愛されるのか」育鵬社

 

 

マシュー・カルブレイス・ペリー 海軍代将、黒船指揮官 (1794-1858)
「実用的、機械的技術において日本人は非常に巧緻をしめしている。(中略) 彼らの手作業の技術の熟練度は素晴らしい。日本の手工業者は世界のいかなる手工業者にも劣らず練達である。

 

よって国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に追いつく日はそう遠くはないであろう。他国が発展させてきた成果を学ぼうとする意欲が盛んで、学んだものをすぐ自分なりに使いこなすことができる。

 

だから、国民が、外国との交流を禁止している排他的政策(鎖国) が緩められれば、日本はすぐに、最も恵まれた国の水準までに達するであろう。文明世界の技能を手に入れたならば、日本は将来きっと機械工業の成功を目指す強力な競争国となろう」


「日本人ほど丁重に礼儀正しくふるまう国民は、世界中どこにもいない」


「日本賛辞の至言33選」波田野毅、ごま書房

 

   

トーマス・エジソン 発明家、GE創業者(1847-1931)
「自分の子供たちは、しょっちゅう自分の周りから金品を勝手に持ち出していくが、この日本の青年はテーブルの上にお金が置いてあっても、手をつけることなど全くない」
 
「これは養殖ではなく、真の真珠だ。実は自分の研究所でできなかったものが二つある。ひとつはダイヤモンドで、いまひとつは真珠である。あなた(御木本幸吉) が動物学上からは不可能とされていた真珠を発明完成されたことは世界の脅威だ」


日本賛辞の至言33選 ごま書房

 

 

エドワード・シルベスター・モース  アメリカ動物学者(1838~1925)大森貝塚・縄文土器を発見・発掘


「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。鍵をかけぬ部屋の机の上に私は小銭を置いたままにする」
 
「日本人の子どもや召使は... 触ってはならぬ物には決して手を触れぬ。こそ泥は皆無ではないものの ”盗まない”」
 
「正直、節倹、丁重、清潔、その他わが国において『キリスト教徒的』とも呼ばれるべき道徳の全てに関しては、一冊の本を書くこともできるくらいである」
 
「外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気が付き始める。すなわち彼ら(外国人) は、日本人に全てを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである。

 

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然および全ての自然物に対する愛、あっさりとして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり... これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」
 
「大学を出てきた時、私は人力車が4人いる所に歩み寄った。私は、米国の辻馬車屋がするように、彼らもまた揃って私の方に駆けつけるのかなと想っていたが、事実はそれに反し、1人がしゃがんで長さの違う麦わらを4本拾い、そしてくじを引くのであった。運のいい1人が私を乗せ、他の3人はいやな感情を示さなかった」
 
「何度となく人力車に乗っている間に、私は車夫が如何に注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けるかに気が付いた」
 
隅田川の花火大会でごったがえす屋形船の船頭たちが、長い竿で船を避け合ったり、助け合ったりし、怒声や罵声もなくただただ「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉が飛び交うだけで、和気あいあいとして優雅で温厚に振舞う船頭たちの姿を描き、「わがアメリカならたいへんだ」と、その落差に慨嘆している。
 
「米国でよくあったような宗教的の偏見に衝突することなしに、ダーウィンの理論を説明するのは、誠に愉快だった」
 
「維新から、まだわずかな年数しかたっていないのに、(中略) つい先頃まで輸入していた品物を、製造しつつある進歩に驚いた」

 

 
「日本の家庭及びその周辺」、「日本その日その日」 創元社、平凡社
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」 黄文雄、徳間書店
 日本賛辞の至言33選、ごま書房

 

 

「ホテルの角には人力車が数台並んで客を待っていた。我々が出ていくや否や彼たちは『人力車?』と叫んだ。

 

我々は明瞭に要らぬことを表示したが、それにもかかわらず2人我々について来た。我々が立ち止まると彼等も立ち止まる。

 

我々が小さな店を覗き込んで、何かを見て微笑すると、彼等もまた微笑するのであった。

 

我々は彼等がこんなに遠くまでついて来る忍耐力に驚いた。

 

何故かなれば我々は歩く方が良かったから人力車を雇おうと思わなかったにである。

 

しかし彼等は我々よりも、やがて何が起こるかをよく知っていた。

 

歩き回っている内にくたびれてしまうばかりでなく、道に迷いもするということである。

 

果たしてこの通りのことが起こった。

 

新しいこと、珍しいことによって完全に疲労し、道に迷い、長く歩いて疲れ切った我々は、喜んで人力車に乗って帰る意思を示した」

 

 

 

「東京の子供の死亡率がボストンのそれよりも少ないということを知って驚いた私は、この国の保健状態について多少の研究をした。

 

それによると赤痢および小児コレラは全くなく、マラリヤによる熱病はその例を見るが多くはない。

 

リューマチ性の疾患は、外国人がこの国に数年間いると起こる。

 

中略

 

日本人の綺麗好きなことは常に外国人が口にしている。

 

中略

 

しかし我が国で悪い排水や不完全な便所その他に起因するとされている病気の種類は日本には無いか、あっても非常に稀であるらしい。

 

これは全ての排出物質が都市から人の手によって運び出され、そして彼等の農園や水田に肥料として利用されることに原因するのかもしれない。

 

我が国では、この下水が自由に入江や湾に流れ入り、水を不潔にして水性物を殺す。

 

そして腐敗と汚物とから生ずる鼻持ちならぬ臭気は、公衆の鼻を襲い、全ての人を酷い目に遭わす。

 

日本ではこれを大切に保存し、土壌を富ます役に立てる」

 

 

 

「日本人が正直であることの最も良い実証は、三千万人の国民の住家に錠も鍵もかんぬきも戸鈕も… いや、錠をかける可き戸すらもないことである。

 

昼間は辷る衝立が彼等の持つ唯一のドアであるが、その構造たるや10歳の子供もこれを引き下ろし、あるいはそれに穴を開け得るほど弱いのである」

 

 

 

正午、人々が床に横たわって昼寝しているのを見た。

 

家は道路に面して開いているので、子どもが寝ている母親の乳房を口に含んでいるのでも何でも丸見えである」

 

 

 

「日本が万国郵便連合に加入した最初の年に6万ドルの純益をあげ、手紙一本、金一セントなりともなくなったり盗まれたりしなかったというが、これは日本人が生まれつき正直であることを証明している」

 

 

 

「日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級に至るまで、全ての人々がいずれも行儀がいいということである」

 

 

 

「色々な事柄の中で外国人の筆者たちが1人残らず一致することがある。

 

それは日本が子どもたちの天国だということである。

 

この国の子どもたちは親切に取り扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持ちの良い経験の、より多くの変化を持っている。

 

赤ん坊時代にはしょっちゅうお母さんなり他の人なりの背に乗っている。

 

刑罰もなく、咎めることもなく、うるさくぐずぐず言われることもない。

 

日本の子どもが受ける恩恵と特典とから考えると、彼等はいかにも甘やかされて増長してもよさそうであるが、世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子どもに如くものはない。

 

汝の父と母を尊敬せよ…   これは日本人に深く染み込んだ特性である」

 

 

 

「多分漆なのだろうが、銅、銀等に似せた浮き彫りであった。意匠の優雅、仕上げ、純潔は言語に絶している。

 

日本人のこれ等及び他の繊美な作品は、彼等が自然に大いなる愛情を持つことと、彼等が草食芸術に於いて、かかる簡単な主題を具現化する力とを示しているので、

 

これ等を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる。

 

この地球の表面に生息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。

E・S・モース著「日本その日その日」1巻、東洋文庫

 

 

「私が帰るまで時計と金を預かってくれぬかと聞いたら、彼は快く承知した。召使いがひとり、フタの無い浅い塗盆を持って私の部屋へ来て、それが私の所有品を入れるものだと言った。

 

で、それ等を彼女が私に向かって差し出している盆に入れると、彼女はその盆を畳の上に置いたままで出て行った。

 

しばらくの間、私は言うまでもないが彼女がそれを主人の所へ持って行き、主人は何らかの方法でそれを保護するものと思って、ジリジリしながら待っていた。

 

しかし下女は帰ってこない。私は彼女を呼んで、なぜ盆をここに置いていくのかと尋ねた。

 

彼女はここに置いてもいいのですと答える。私は主人を呼んだ。

 

彼もまた、ここに置いても絶対に安全であり、彼はこれらを入れる金庫も、他の品物も持っていないのであると言った。

 

未だかって、日本中のいかなる襖にも、錠も鍵もかんぬきも見たことがない事実からして、この国民がいかに正直であるかを理解した私は、この実験を敢えてしようと決心し、

 

おそらく私の留守中に何回も客が入るであろうし、また家中の召使でも投宿客でもが楽々と入り得るこの部屋に、フタの無い盆に銀貨と紙幣とで八十ドルと金時計とを入れたものを残して去った。

 

我々は1週間にわたる旅をしたのであるが、帰って見ると、時計は言うに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれらを残して行った時と全く同様に、フタの無い盆の上に乗っていた。

 

米国や英国の旅館の戸口に貼ってある、印刷した警告や訓警の注意書きを思い出し、それをこの経験と比較する人は、いやでも日本人が生得正直であることを認めざるを得ない。

 

私はこのような実例をたくさんあげることが出来る。

 

日本人が我が国に来て、柄杓(ひしゃく)が泉水飲場に鎖で取り付けられ、寒暖計が壁にネジでとめられ、靴拭いが階段に固着してあり、あらゆる旅館の内部では石鹸やタオルを盗むことを阻止する方法が講じてあるのを見たら、定めし面白がることであろう」

 

 

 

「日本で生活していた間に、私はたった一度しか往来での喧嘩を見なかったが、それのやり方と環境とがいかにも珍しいので、私は例のごとくそれを米国における同様のものと比較した。

 

我が国の往来喧嘩を記述する必要はあるまい。誰でも知っている通り、老幼が集まって輪をなし、興奮した興味を持って格闘を見つめ、ぶん殴れば感心し、喧嘩が終わるか巡査が干渉するかすれば残念そうに四散する。

 

日本の喧嘩では、2人が単に頭髪の引っ張り合いをする丈であった! 見物人は私ひとり。

 

他の人々はいずれもこのような不行儀さに嫌厭の情か恐怖かを示し、喧嘩している2人は人々が事実上避けていくので、広い場所を占領していた」

 

E・S・モース著「日本その日その日」3巻、東洋文庫

 

   

トム・クルーズ 映画俳優、映画プロデューサー
19回目の来日の際に...

「着物以上に着心地のいいものはない。今回の日本訪問は私にとって19回目となるけど、もうそんなに何回も日本に来たというのは驚きだ。日本とは本当に特別の国だ。あともう19回来てもいい」

 

 

 

ルース・ベネディクト アメリカ文化人類学者(1887~1948)
「日本は、”恥の文化”。恩や義理、人情は日本固有のものです」
 

「菊と刀」 社会思想社
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」 黄文雄、徳間書店

 

 

 

デビット・ベイリー  デンバー大学政治学教授
「日本の警察官は単なる法執行者ではない。彼らは法の背後にある道徳の先生でもある」
「彼らは、「日本魂」を吹き込まれた新しいサムライたちである」


「ニッポンの警察 - そのユニークな交番活動」
「日本の治安はなぜよいのか」サイマル出版
 「世界から絶賛される日本人」黄文雄、徳間文庫

 

 

 
メーソン アメリカ人
神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理でよりよく現代生活に適し儒教より内面的、哲学的がつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれている
 

和みチャンネル、日本国や神社に感動した外国人の言葉

 

 

 

エドウィン・ライシャワー

「言語が異なる国同士の学力の全体的レベルはふつう計りにくい。しかし、そうした言語の違いが問題にならないような、例えば数学の分野でみれば、日本人はこれまで世界のトップであったとみられる。


エドウィン・ライシャワー著「日本人」

 

 

 

 

パンペリー

「日本の教育は、ヨーロッパの最も文明化された国民と同じくらいよく普及している。日本には、少なくとも日本文字と中国文字で構成されている自国語を読み書きできない男女はいない」

 

 

 

「ヨーロッパでもアメリカでも、このような美しい光景を見たことはない」大隈重信が英語の個人授業を受け、その後に幕府が長崎につくった長崎英語伝習所(洋学所→済美館→広運館などと呼ばれた)の英語教師として幕府に雇用され、日本政府より勲三等旭日章を授与されたアメリカ人、ウィリアム・エリオット・グリフィス

Wikipedia

 

 

 

 

 

元アメリカ人大リーガー、南海ヘッドコーチ、ダン・ブレーザー

 

「日本に来ていちばん驚いたのは、日本人がほとんど不平を言わないことだった。アメリカ人はよく不平を言う。日本人は実に我慢強い」

 

「日本人の控え目の美徳を理解できないわけではない。練習の熱心さ、反復してあきない我慢強さには頭が下がる。協調性もたいしたものだ。しかし、長所が欠点になることもある」

 

「日本人ほど親切で正直で親しみやすい国民はない。奥さんがひとりで買い物に出かけても安心だが、これがニューヨークの下町だったら危険が一杯。僕がボディーガードしなくてはならない」

 

朝日新聞編集委員室編「日本と私・駐日外人50人が語るニッポン(1977年)」

 

 

 

 

 

外来語を研究するアメリカ人教師、ウェスリー・リチャード

 

「アメリカで知られている外来語(日本語)はほとんど名詞であること、それも単語の段階にとどまり、文や句にまで及ぼさない。それに対して日本での外来語はなぜか名詞が簡単に動詞として使われる。

 

それと意味が勝手に広げられたり、狭められたり、完全にずれていたり。特に注意を引いたのは、アメリカでは決して見られない和製外国語です。

 

一般に言われているのではカンニング、ナイター、ポスト、ホーム・ドクター…」

 

 

朝日新聞編集委員室編「日本と私・駐日外人50人が語るニッポン(1977年)」

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もっと良く知ろう、本当の日本を 当時のGHQ 政策(洗脳) により、本当の日本・日本人のことを知らない日本人、そして世界の人々が多過ぎる... もし本当の日本・日本人を知ると、日本人は誇りを持てる(そうさせないためのGHQ 政策でした。日本が強すぎました...)... 誇りを持てば自身につながり、襟を正せる...  自殺者80人以上/1日、親殺し、子殺しは異常です。 襟を正すと修身(道徳) の大切さが理解できるようになる... 人間が生きていくためのバックボーンである修身が重んじられると、日本が良くなる... 世界に影響する日本が良くなると、「和を以って尊しと為す」 が世界に広まる... 「和を以って尊しと為す」 が世界に広まると、個人主義が減って世界平和につながる...