ヘンリー・スコット・ストークスさんはグラストン・ベリーというイギリスの田舎で約500人を雇用していた靴のメーカーの経営者の息子として1938年に生まれました。
人口が、父の会社の約10倍という小さな村であったからか、村にはお父さんの名を冠した記念碑があるそうです。
ストークスさんはオックスフォード大学を卒業し、イギリス軍大尉としてインドに4年間駐留した後に、ファイナンシャル・タイムズ、その後エコノミスト誌の東京特派員、そしてロンドン・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を歴任しました。
最も深いレベルの知日家であり親日家で、ご子息はタレントのハリー杉山さんです。
そのヘンリー・スコット・ストークスさんが書いた「英国人記者が見た、連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)という本があります。
その本の内容を少しご紹介したく思いますが、特に自虐史観に染まってしまっている人には読んでいただきたい内容です。
それは日本人ではなく、第二次世界大戦の戦勝国側のイギリス人、しかもマスコミ業界で長く責任のある立場で働いていた人からの発言だからです。
「イギリスで生まれ育った私は、幼少の頃から日本人は野蛮で残酷な民族であるとさんざん聞かされていた。
丁度当時の日本人が『鬼畜米英』と聞かされていたのと同じだ。
戦後になっても、日本のおかげでアジアの植民地を全て失ったイギリスの日本に対する憎悪の感情は消えるばかりか強まる一方だった。
そんな環境の中で、私の中にも日本を憎む気持ちがごく自然に熟成されていた。
しやがって、来日当初は東京裁判が裁いた『日本 = 戦争犯罪国家』、『南京大虐殺』についても事実であると単純に信じていて、何ら疑っていなかった。
だが日本に滞在する間に、連合国からの視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で、20世紀の日本とアジアの歴史を俯瞰した時、そうした見方が大きな誤りであることに気がついた。
大東亜戦争は日本の自衛のための戦いだった。
それは戦後マッカーサーがアメリカに戻って議会で証言した『マッカーサー証言』によっても明らかだ。
東京裁判は裁判の名も値しない無法の復讐劇だった。
『南京大虐殺』にしても、信用できる証言は何ひとつとしてなく、そればかりか中国が外国人記者や企業人を使って世界に発信したプロパガンダであることが明らかになっている。
『慰安婦問題』については、論ずるにも値しない。
だが、これまで日本人が日本の立場から、これらに抗議し正していく動きはほとんど見られないか、見られてもごく僅かだった。
今国際社会で『南京大虐殺はなかった』と言えば、もうその人は相手にされない。
ナチスのガス室を否定する人と同列に扱われることになる。残念ながら、これは厳粛なる事実だ。だから慎重であらねばならない。
だが、日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。
日本はこれまでこうした努力が異常に少なかった。日本は相手の都合を慮ったり、阿諛追従する必要はない。
アメリカはアメリカの立場で、中国は中国の立場で、日本は日本の立場でものを言う。
当然それらは食い違う。だがそれでいいのだ。世界とはそういうものである。
日本だけが物分かりの良い顔をしていたら、たちまちつけ込まれてしまう。
もうひとつ私が声を大にして言いたいのは、『南京』にせよ『靖国参拝問題』にせよ『慰安婦問題』にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国にけしかけて問題にしてもらったのが事実だということだ。
この問題をどうするかは日本人が自分で考えなければならない。
日本人は、いまだに連合軍がでっち上げた『戦勝国』史観の呪いから抜け出していない」
「第二次世界大戦が終わり、50年代になって黒澤明の『七人の侍』や、市川崑の『野火』などの映画を見て新鮮な衝撃を受けた。
日本人は何百年にわたったイギリス植民地支配の歴史の中で出会ったことがない『別次元』の存在だと気が付いた。
イギリスは何百年もかけて大帝国を建設し、その帝国を維持した。その間にインド人をはじめアジアのさまざまな民族と戦った。
勿論インド人との戦闘も熾烈を極めた。
アフガニスタンや北パキスタンの敵も手強い相手だった。しかし日本人はそうした『強い敵』をはるかに凌駕していた。日本人はそうした植民地支配を受けた人種と全く違っていた。
日本が大英帝国(の植民地)に軍事侵攻した途端に、何百年も続いた帝国が崩壊した。日本軍のあまりの強さに降参するしかなかった。
白人の世界では、戦後一貫して日本への憤りが蔓延していた。
そこには怨念があった。日本軍の戦いぶりはこの世の現実とは思えないほど強かった。イギリスは何百年も続いた植民地から一瞬にして駆逐された。
戦闘に敗れたというだけではない。栄華を極めた大英帝国の広大な植民地が一瞬にして消えたのだ。この屈辱はそう簡単に忘れられるものではない。
イギリスは1066年にノルマン人の侵略を受けて国土を占領されたが、ナポレオンやヒットラーの侵略を斥けた。
だが、その帝国の植民地がなんと有色の日本人によって奪われた。イギリス人にとって、有色人種に領土を奪われ、有色人種が次々と独立国を作ったことは想像を絶する悔しさだった。
日本に原爆が落とされた。その悲惨さは筆舌に尽くし難い。
アメリカは原爆を投下する必要が全くなかった。生体実験のように、人間に対し原爆を投下した。
そこには「辱めを与える必要性」があった。
日本人を徹底的に打ち砕き、完膚なきまでに叩きのめさねばならなかった。
勝者の正義などは正に建前で、復讐をせずには収まらなかったのが本音である。東京裁判も正に復讐劇だった。
日本は元寇の時も侵されなかった。しかし第二次世界大戦で敗れて初めてアメリカ軍が本土を占領した。
これは日本を「部分占領する」とうたったポツダム宣言に違反したものだった。
ポツダム宣言は、「日本軍」の無条件降伏のみを要求し、「われらは以下の条件から逸脱することなし」と記しているから、日本は有条件降伏をしたのに、マッカーサーは日本軍を武装解除すると、日本が無条件降伏をしたかのようにすり替えた。
アメリカ軍は70年以上経った今でも日本に居座っている - 中略 - 日本は欧米のアジアの植民地を占領し、日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立に導いた。
日本はアジア諸民族に、民族平等という全く新しい概念を示して、あっという間にその目標を実現させた。植民地支配という動機とは全く異なっていた。
日本はアジア諸民族が独立することを切望していた - 中略 - イギリスは数百年間にわたって負けを知らなかった。
大英帝国を建設する過程における侵略戦争は連戦連勝だった。私はイギリスは戦えば必ず勝つと思っていたし、学校でそのように教えられた。私は一面がピンクだった地球儀によって教育を受けた。
イギリスの領土がピンク色で示されていた。ところが、第二次世界大戦が終わると、植民地が次々と独立してピンク色だった世界がさまざまなな色に塗り替えられてしまった。
大英帝国は植民地を徹底的に搾取することで栄華を保っていた。お人好しの日本人が、台湾、朝鮮の経営に巨大な投資を行なって、本国から壮大な持ち出しをしたのと全く違っていた。
- 中略 - イギリスが犯した最大の失敗は、日英同盟を破棄したことだった。
- 中略 - 知日派(のイギリス人)は、日英同盟の破棄が間違いだったと全員が語っている」
大東亜戦争は日本の自衛のための戦いで、さらにはアジア解放の理想を掲げた。
日本がアジアに侵攻することがなかったなら、アジアは今でも欧米の植民地のままだったろう。
アメリカで黒人が大統領になるどころか、今でも黒人たちが惨めな地位に喘いでいたことだろう。
日本が大東亜戦争を戦ったことによって、大英帝国が滅びた。
日本が大東亜戦争を戦わなかったら、今でもアジア諸民族がイギリスやフランス、オランダ、アメリカの支配を受けていた。
戦場は太平洋ばかりではなかった。日本が解放を目指した欧米の植民地はアジア全体に広がっていた。
どうして「太平洋戦争」なのか。だから日本は「太平洋戦争」と呼ばなかった。
日本が戦争を戦った真実を把握するには、「大アジア」を戦場として、アジア諸民族を搾取する植民地支配者であった欧米諸国と戦い、アジアを解放した「大東亜戦争史観」を持って見る必要がある。
アジアを蹂躙し、植民地支配をしたアメリカもヨーロッパ諸国も、「大東亜戦争史観」という観点から歴史を見られることだけは決定的にまずい。
日本が「太平洋戦争」を戦ったことにしておきたいのだ。
アジア独立に日本が果たした貢献を知られると、欧米の悪行があからさまになってしまうからだ。
見せかけの正義が崩壊してしまう。「大東亜戦争」という観点を持ち出されると、欧米の戦争の大義が崩壊し、実はアジアを侵略したのは欧米諸国であったことが白日の下にさらされてしまう。
日本の立場が海外で理解されないのは、日本が効果的な発信をしていないからだ。
イギリスは大英帝国の「宝石」であるインドを失ってしまった。インド人が大英帝国と独立戦争を戦ったからだ。
インドの民にとって、一気に独立の気運が高まり、アジアにおいて独立への流れが急速に強まる引き金となったのは、1905年の日露戦争における日本の勝利、特に日本海海戦の勝利だった。
日本はアジア人を目覚めさせ、独立の気概をアジア人に植え付けた。日本の役割は絶大なものだった…