エンゲルベルト・ケンペル ドイツ医師、博物学者(1651~1716)
「よく団結し、親和的で、神々は当然崇敬すべく、法律は当然遵守すべく、主君には当然服従すべく、隣人は当然愛し尊敬すべく教え込まれていて、慇懃、懇篤、高潔である。美術工芸の面では他の全ての国民を凌駕している」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」
黄文雄、徳間書店
「旅館の主人らの礼儀正しい対応から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折にわれわれが気づいたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人に優るものはない。のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名にいたるまで大変礼儀正しいので、われわれは国全体を礼儀作法を教える高等学校と読んでもよかろう」
「日本賛辞の至言33選」 波田野毅、ごま出版
「とあるポルトガル船がオランダ人に拿捕され、ポルトガル国王の戦争計画書がオランダ人の手に渡るという事件が起こった。
その計画書には、日本のキリスト教の協力を得てポルトガルが日本を攻撃して政権を奪取するという内容が書かれていたので、オランダ人はそれをすぐに将軍に差し出した。
九州の大名たちの中には、伝道師たちに港を開放していた者がいたため、幕府はまず大名たちに疑いに目を向けた。
勿論大名たちは将軍に対して、あらかじめ血判を押して忠誠を誓っていたのだが、外来の宗教であるキリスト教はあたかも地獄の神であるかのように幕府を苦しめた。
追えども追えどもこの地獄の神は、いつも姿を変えては次々に日本人の前に姿を現したのである。
この機を逃さず、オランダ人は幕府に次のように進言した。
『キリスト教の坊主ども(= スペイン人とポルトガル人)を完全に絶滅させなければ、日本はこの危機から逃れることは出来ない』
だが幕府の疑念が消えたわけではなかった。彼らはまずこう疑ったのである。
『オランダ人もまたキリスト教徒ではないか』
これに対してオランダ人は次のように釈明した。
『確かに私たちはキリスト教徒である。しかし信仰の内容が違う。私たちはローマ教皇の下に立っているのではない。それどころかカトリックの坊主どもとは対立関係にある。私たちが日本に来ているのは、ただ交易のためだけなのである』
幕府はひとまずこの説明に満足した。オランダとの貿易がストップすれば、幕府も舶来の高級な品物を手に入れることができなくなるのであり、それは好ましくなかった」
B・M・ボダルト=ベイリー著
「ケンペルと綱吉」