エリザ・ルアマー・シドモア

エリザ・ルアマー・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmore、1856年10月14日 - 1928年11月3日)は、アメリカの著作家・写真家・地理学者。ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事。

 

1885年から1928年にかけて度々日本を訪れた親日家で、日本に関する記事や著作も残している。ワシントンD.C.のポトマック河畔に桜並木を作ることを提案した人物。

 

1884年から1922年まで極東に務めた外交官の兄ジョージ・シドモアの任務に同行し、一般の旅行者にはアクセスできない地域へも渡航することができた。

 

エリザの日本訪問は、1884年頃に在横浜米国総領事館に勤務していた兄を訪ねたのが初めてとされる。ジョージは後に横浜総領事に昇格、エリザもしばしば来日・滞在した。新渡戸稲造夫妻とは終生交流があった。

 

1890年には設立間もないナショナルジオグラフィック協会に参画して正規の記者となり、後に最初の女性理事となった。

 

1896年には明治三陸地震津波の被災地に入って取材し、"The Recent Earthquake Wave on the Coast of Japan"を『ナショナル・ジオグラフィック・マガジン』1896年9月号に寄稿。英語文献において「津波」 Tsunamiという言葉が用いられた、現在確認できる最古の例。

 

日露戦争の際、ロシア人の捕虜の丁重な取り扱いを松山で観て大感激し、当時の日本軍はいかに立派な侍魂であったことをアメリカ本国に報告。

 

日米戦争になると、途端に日本人の排斥運動が起きたことに対して、大いに嫌気をさし、スイスに逃れたり、シドモア女史の生涯は日本人とその櫻に、彼女の多くが捧げられてきたのです。

 

ご遺骨がスイスにあると知った新渡戸稲造はじめ多くの日本の発起人たちは、お母さんやお兄さんが眠る横浜外人墓地に彼女のご遺骨をスイスから移し、そこで現在永眠されています。

 

 

エリザ・ルアマー・シドモアが残した言葉:

 

「外国からやってくる旅行者の誰もが、この国民から深い恩恵を覚えることは確かです。それほど日本人は世界でも際立つ興味深い民族で、しかも感謝の念は特定の個人にだけでなく日本全体に強く感じます」 

 

1900年の北清事変(義和団事件)で、「日本の軍隊が武勇、規律、装備、敗者への人道的処遇の点で他国より優っていて、卓抜した愛国心を発揮した」と絶賛。

 

「私たちの泊まっている(日本の)小さな家の仕切りの薄っぺさは、壕に囲まれた敷地の無意味な城壁や城門と同様、盗人を誘惑しているように見えましたが、この理想郷には泥棒はいません」

 

「日本人は今世紀最大の謎であり、最も不可解で最も矛盾に満ちた民族です。日本人の外見と環境は、一瞬、気取り屋の国民に思えるほど絵のように美しく、芝居じみ、かつ芸術的です。

 

西洋人は、極めて優れた黄色人種の分派・日本民族の深い神秘性、天性の賢明さ、哲学、芸術、思想など名状し難い知的洗練さの前にはまるで赤ちゃん同然です。

 

日本人の理念と表現からの素早い盗用は、ルネッサンスと同じような鮮明さで西洋に一紀元を画し、既に地球の美術工房となっている」

 

「この魅力的国民に待ち受けるものは、何かとても良い運命であることは確かです」

 

 

「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー」

外崎克久訳、講談社学術文庫

Wikipedia

硯水亭歳時記 Ⅱ

https://madenokouji.wordpress.com/2009/03/24/

ワシントンの櫻とシドモア女史の日本への熱き思/

 

 

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