東日本大地震の時の、被災地の方々の態度は世界中で称賛されたことはご存知だと思います。あるいはひょっとして、そのことにも気が付いていない人がいるのかもしれません。
なぜならあれは日本では、ごくごく当たり前のことで、どうして賞賛されるのかが分からないからです。
「日本人とは?」のページにもあるように、日本人のことを良く知るには、それを計ることが出来る世界の物差しが必要です。
アメリカなどの海外では、311のような大きな自然災害が起きると、暴動、略奪、パニックがつきものなのです。
貧困層だけではなく、中間層以上でも、破られたドアからスーパーなどに入って商品を勝手に持っていってしまうのです。
311の時に悪いことをした人もいたでしょうが、そのレベルは世界の物差しで計ると取るに足らないレベルなのです。
次は、311の時に現れた海外のコメントの一例です。
「日本人がこの悲劇に直面した時に示した尊厳ある冷静さは、たぐいまれなものである」アメリカ・タイム紙
「信じられないような苦難を、潔く尊厳をもって我慢した」アメリカ・ニューヨークタイムズ紙
「中国人にとってはもうひとつ、別なショックがあった。- 中略 - かような状況でも慌てず乱れなかった民衆であった」中国・羊城晩報
「生存者たちの尊厳と『回復力』には畏敬の念を覚えた」イギリス・ファイナンシャルタイムズ紙
「驚くべきことだ。日本人の『ガマン』という概念がある。それは patience, endurance, perseverance が合わさったものだ。愛する人、ビジネス、家など、何もかも失った人々を見ても彼らは毅然として快活に見えた…」ジョン・バーネット、National Public Radio にて。
「『ガマン』の概念は、日本人にとって本質的な価値観で、プレッシャーがかかっていても他人に対する高度なレベルの思いやりを示し続ける特質であり、外国の人にとっては驚きであることが多い。ガソリンスタンドやスーパーマーケットでの長蛇の列は東京にまで広がっているが、そこで大声を出したり、怒りの声を出したりすることは稀である。他の車が通れるように間隔を空け、誰も割り込もうとしない」ギャビン・ブレア、クリスチャン・サイエンス・モニター
「これ『ガマン』は、この国がいかにして第二次世界大戦の荒廃から劇的に回復したかを説明する」ルイス・カールソン、同上紙
「この悲劇の大きさにもかかわらず、日本の人々は称賛に値するさまで振る舞っている。ニューオリンズのハリケーン・カトリーナの時と違って、とりたてて言うほどの略奪も暴動もパニックも経験していない。彼らは純粋に無死無欲のさまで行動し、お互いを助け合うべく、いかなる苦労も惜しまない」ザ・ノーザン・ライト、ダニエル・マクドナルド
「略奪、暴動、公然と悲しみと怒りを表すのを見た他の災害と違って、静かに悲しみ、人々は2〜3本のボトルの水をもらうために秩序正しく、何時間も忍耐強く立っている」CNN、キュン・ラー
「日本人は、他の人に迷惑をかけてはいけないという集団的プレッシャーが強く、恐怖の連鎖反応が起きないように冷静さと強さを示そうとする。体育館に何百人もの人と一緒に寝泊まりしている人に対して、私は今の状況で何が最もつらいことかと尋ねた。『我々には生まれたての赤ちゃんがいる。最もつらいのは、赤ちゃんが夜泣いて、それが我々以外の人たちを苛立たせることだ』」ガテンフェルダー、APカメラマン
「… 大震災の惨禍が起きた後、略奪もなければ暴動も全くなかった。凍りつくような天候の中で、食料、水、燃料を望む人が長者の列をなしたが、もらえないこともあったという。それでも怒りは炎上せず、ほとんど不平は出なかった」ハナ・ビーチ、タイム誌
「近所の人がやって来て、『カレーライスが出来たから食べませんか?』と言ってくれました。とても感動しました。このように他人を思いやり、助け合うことが中国人にできるでしょうか? 私は恐怖心で泣いたりはしません。彼らに感動して泣いているのです」黄静雅、明報
「階段に座る人が、通れるようにちゃんと通路を空けている。GDPでは確かに抜いたが、国民の素養など、まだまだ中国は日本に追い付けない」民衆素養のビデオ教室になりうる日本地震の放送、羊城晩報
「千葉、仙台間400キロ、割り込む車1台も無し。ガソリンが残っている一部のスタンドには200〜300メートルの車の列。1回の注油は10リットル、あるいは2千円。彼らはまるでベルトコンベアのように動く。割り込む車や『もっと入れてくれ』と大声をあげる人は見かけなかった」ソヌ・ジョン、朝鮮日報
「仙台空港を目の当たりにした時、圧倒されそうになったが、被災地に行って取材すると、人々の立ち直る力と強靭な精神力に自分の方が刺激を受けた… イギリス人だったらケンカはするし、窃盗はするし、もっとひどかったと思う。被災地の人たちは驚くほど寛容で優しい。自転車を盗んだりガソリンを盗んだりするのは見たが、それは略奪ではなくて生き残るためにやっている。私が言いたいのは外国で見るような規模のものではないということだ。何もかも不足しているのに便乗値上げがない」リチャード・ロイド・パリー、ザ・タイムズ(イギリス)
「小学校の校庭できれいな弧を描くように列を作って並ぶ被災者たちを上空からの画像で見て、『これがオランダだったら、我先にと誰をも押しのけてみにくく争うのがオチだ。事実、スーパーなどでは毎日のごとくそれが起きている。他人に迷惑をかけないように気遣えば、お互いが気持ち良く接し合えるし、物事がスムーズに運ぶ』」オランダ、ヘルデランダー紙
「津波が来たら親子であっても手を離してまずは高台に逃げろと伝わる東北地方の教訓が報道されて、『〜が起きたら、まず〜を行う』というような、危険を避けるための教訓や生活の知恵といったものがオランダにはない。『水が来たって私は泳げるから大丈夫』と考えてしまう。普段のオランダの自然はいたって平穏なので、予想外のことが起こると驚いてしまって大騒ぎする性質を持っている。オランダからは介護士になる教育を受けた多くのボランティアの若者が被災地に行った。現場の惨状は目に余りすぎて、行った方がすっかりうちしがれてしまった。そして被災者から逆に励ましを受けたり手袋を貸してもらったり、絆創膏を貼ってもらったり… 日本人というのはどこまで忍耐強くて礼儀正しいのだろう。だからこそ絶対に前進して行くのだろう」オランダ、スピッツ紙
「東日本高速道路株式会社は、被害を受けた870Kmの高速道路の内の813kmをたったの6日間という信じられない速さで修復した。さらにはその工事の際の『すみません、ご迷惑をおかけします』という低姿勢… イタリア、ラクイラで起きた地震後の復興と比べて…」ビル・エモット
「日本の社会は非常にレベルの高い民度を持っていることを、この災害によって私たちに思い出させてくれた。それは大災害の後とは思えないほどの人々の素晴らしい協力体制、思いやりにあふれた行い、驚くほどの忍耐力などだ」ギリシャ国営放送、ET3
「冷静、沈勇、遠慮深い、秩序ある行動を日本人はとった。食料や飲み物配給に整然と列を作って、自分の番が来るまで秩序正しく待っている姿に感嘆している。非難をするにも列を作って順番を待っている。これは冷静さから来るのか、あまりのショックに立ちすくんでしまったためなのか。暴動に至らないのはなぜか。この冷静さはいったいどこから来るのだろうか」ドイツのフォーカス、シュテルン誌。
「日本人は我々に冷静さの教訓を与えた。それは模範的な態度、人生の哲学、勇気と尊厳のモデルであった。世界中の人を、とりわけ西洋人を驚かせた。混乱に満ちた中で、日本人はストイックであり続けている。災害に遭った地域では、顔を凍らせおののかせる大いなる苦痛と不安がある。それなのに、叫びも怒りも大パニックも暴動も略奪もほぼなかった。試練を前にして、日本人は文字通り指示を尊重した。そして称賛を勝ち取っている公民精神と相互援助精神と共に運命に従っている」フランス、ル・パリジャン紙
出典: 世界が感嘆する日本人
別冊宝島編集部編
このような自然災害に遭った時の日本人の態度には、実はかなり昔から日本に来た外国人に驚かれていました。
「せいぜい4メートルの幅しかない堤の上をうごめく人の群れは目を疑うほどだ。我々は馬で行ったのに、人力車と同様、極めてゆっくりとしか進めなかったが、それでもすっかり満足だった。
...それに入り乱れて行きこう全てが、何と静粛で整然としていることだろう。乱暴な行為もなければ、酔漢の怒鳴り声もしない。
...行儀の良さが骨の髄まで染み込んでいる国民だ」エルヴィン・フォン・ベルツ ドイツ医師(1849~1913)
1856年、下田を台風が襲い1/3が破壊され、台風が去ったあとの日本人の態度を見て...:
「日本人の態度には驚いた。泣き声ひとつ聞こえなかった。絶望なんてとんでもない!彼らの顔には悲しみの影さえもなかった。それどころか、台風なんてまったく関心がないという様子で、嵐のもたらした損害を修復するのに忙しく働いていた」ヘンドリック・コンラット・ヨアンネス・ヒュースケン 江戸時代後期に伊豆国下田の玉泉寺に設置された駐日アメリカ総領事館の通弁官
1866年11月26日の横浜の大火を見て...
「ここへ来てみると(噂は)まったく根拠のないことが判明した。日本人自身、西洋人よりはるかにひどい火災の被害をうけていて、それにもかかわらず、あっぱれな勇気と賞賛すべき犠牲心と沈着さを発揮して、西洋人の貴重品を無事に運びだす手伝いをしたのだった」
「日本人はいつに変わらぬ陽気さ呑気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった」
「日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。ふたたび水の上に浮かび上がろうと必死の努力をするそのやり方は無分別にことにあたる習癖をまざまざと証明したようなもので、日本人を宿命論者と呼んでさしつかえないだろう」エドゥアルド・スエンソン デンマーク人フランス海軍中将(1842~1921)
311の被災地の方々には心からお悔やみを申し上げたく心痛いばかりですが、不幸中の幸いに、日本人特有の良い面があの時にも現れたということは、日本人気質は今日でもまだ残っているという証拠となり、悪くなるばかりである日本と言われている中で、ホッとさせられる気がします。