日本には、「日本(人)の美学」と呼べるものが存在します。
それがなぜ存在するのかの理由は、「日本人とは?」および「日本という国とは?」を読んでいただくとすぐに理解できますが、日本という国、日本人という民族が、世界の中で良くも悪しくもかなり変わっているからです。
例えば、いざという時に戦う時。元寇・蒙古襲来があった鎌倉時代から、戦いはしても、なるべく両者の損害を小さくしようということで、腕自慢の武将が両軍から名乗り出て2人のみで戦うようなことをしました。
そうすることで、多くの将兵が死傷せずに済み、敵味方共に被害を最小に食い止められるからです。
蒙古・モンゴルや高麗(朝鮮半島)にはそんな美学はありませんから、当初はそうした鎌倉武士が1人で相手側に飛び出していき、大勢の蒙古軍に一斉にやられてしまったそうです。
別な例では、庶民の一般的な喧嘩でも、喧嘩を始める時に「表へ出ろ!」というものがあります。
店や他のお客さんに迷惑がかかるから、表に出て決着をつけようというものです。
欧米、大陸での喧嘩は、店の中ですぐに始まります。周りの迷惑などお構いなしです。日本人の場合は、いざ戦いの時でさえも周りの迷惑を考えるのです。
戦国時代から江戸時代にかけて、どういうわけか日本では銃が発達しないで刀に戻ってしまいました。
西洋で生まれた鉄砲は、織田信長の戦国時代に日本に伝わりましたが、器用で優秀な日本人はそれをあっという間に自作するようになりました。
そしてわずか数年の間に改良さえもされて量産され、当時の日本の鉄砲の数は世界一、ヨーロッパ全体の数を凌いでいたそうです。
つまり当時の戦国時代日本は、世界一の軍事国であったことが分かります。
それにも関わらずに、鉄砲はその後の日本では発達しませんでした。
一瞬で人を殺傷できる銃は、日本人の美学に合わなかったようです。
戦う時に、複数人数対ひとりの戦いなどは、世界中のどこでもフェアでないとされますが、戦いにつきものの周りにかかる迷惑を考えたり、美学があるのは日本だけではないでしょうか?