日本という国とは?

日本という国は、現在126代目である天皇の存在が示す通り、200ヶ国近い国々が存在する広い世界の中でも、他に例を見ないほど珍しく歴史が長い国です。

 

その長さは、初代の神武天皇まで辿ると紀元前660年、今から2.680年以上前、書物による記録が残っていない神話の時代にまで遡るダントツの1番です。

 

2番目に歴史が長い国はデンマークで、現在54代目の女王で約1.100年、3番目はイギリスで40代目女王、約1.000年続いているとされています。

 

複数の国が隣り合わせるヨーロッパでは、紀元前から驚くほどの数の戦争が続いてきたので、国の大きさが頻繁に変わったり、国自体が無くなったり生まれたりしています。

 

そこで例えば2番目のデンマークは、時期はかなり大きな国でしたが、いくつかの戦争で負けて今のように小さくなりました。

 

あるいは3番目のイギリスでは、11世紀から13世紀までの200年間以上、フランス語が公用語でした。

 

4番目は17代目国王で約500年続くスペインですが、8世紀の始めから13世紀の中頃まで、イスラム教のアラブ人に攻められ支配されていたので、今でも多くのモスクの寺院が残っています。

 

ヨーロッパ人が先住民族を大量虐殺して作ったアメリカの歴史はまだ300年も経っていません。

 

ヨーロッパの過去の戦争 - 紀元前:

ローマ・エトルリア戦争、ローマ・サビヌ戦争、第一次メッセニア戦争、レラントス戦争、アルバとローマの戦争、第二次メッセニア戦争、ヒュシアイの戦い、シケリア戦争、第一次神聖戦争、第二次アルカディア戦争、アラリアの戦い、シケリア戦争、第一次ペロポネソス戦争、第二次神聖戦争、サミアン戦争、第二次ペロポネソス戦争、コリントス戦争、ケルトのイタリア侵攻、アレクサンドロス大王のバルカン遠征、ラミア戦争、ピュロス戦争、クレモニデス戦争、第一次ポエニ戦争、第一次イリュリア戦争、第二次イリュリア戦争、第二次ポエニ戦争、第一次マケドニア戦争、第二次マケドニア戦争、アイトーリア戦争、第三次マケドニア戦争、第一次奴隷戦争、キンブリ・テウトニ戦争、ゲルマン戦争、第二次奴隷戦争、同盟市戦争、セルトリウス戦争、第三次奴隷戦争、ガリア戦争、ムティナの戦い、解放者戦争、ペルシアの戦い、共和制ローマの最終戦争

 

1世紀〜10世紀:

ミルウィウス橋の戦い、ヘレスポントスの海戦、ファルスの戦い、イベリア・ペルシア戦争、ローマの英国征服、アルメニア・イベリア戦争、、コルキス・ローマ戦争、ゴート戦争、フリギドゥスの戦い、イベリア・ペルシア戦争、イベリア戦争、ゴート戦争、ラジカ戦争、フリース人・フランク人戦争、アラブ・ハザール戦争、ブルガリア・東ローマ戦争、ジョージア・ウマイヤ朝戦争、ザクセン戦争、ハンガリーのヨーロッパ侵攻、ブルガリア・セルビア戦争、クロアチア・ブルガリア戦争、ルーシ・ビザンツ戦争、ルーシ・ビザンツ戦争、アラブ・ジョージア戦争、アンダーナッハの戦い、ルーシ・ビザンツ戦争、レクニッツの戦い、スヴャトスラフ1世のブルガリア侵攻、

 

11世紀〜17世紀

ドイツ・ポーランド戦争、ビザンツ・グルジア戦争、ルーシ・ビザンツ戦争、デンマークの侵略、ノルマン・東ローマ戦争、ザクセン戦争 (ハインリヒ4世)、グルジア・セルジューク朝戦争、スウェーデン・ノヴゴロド戦争、ボーサンク戦争、教皇派と皇帝派の戦争、英仏戦争、第一次バロン戦争、シャンパーニュ継承戦争、モンゴルのヨーロッパ侵攻、フリース・ドルテ戦争、モンゴルのグルジア侵攻、テルトー戦争、サントンジュ戦争、エウボイア継承戦争、ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争、フリースラント・ホラント戦争、スコットランド・ノルウェー戦争、第2次バロン戦争、ヴァルデマール1世に対する戦争、マーク戦争、ナバラ戦争、シチリア晩祷戦争、リンブルフ継承戦争、アウトロー戦争、スコットランド独立戦争、フランス・フランドル戦争、ゲルハイムの戦い、ディスペンサー戦争、サン・サルドス戦争、ポーランド・ドイツ騎士団戦争、百年戦争、ハールィチ・ヴォルィーニ戦争、ブルガリア・オスマン戦争、VetkopersとSchieringersの戦争、HookとCod戦争、二人のペドロの戦争、War of the Bands、第一次カスティーリャ継承戦争、オスマン・ハンガリー戦争、第一次フェルナンドの戦争、セルビア・オスマン戦争、ベスヴァイラーの戦い、ゲルデルン継承戦争、キオッジャ戦争、第二次フェルナンドの戦争、Gugler戦争、八聖人戦争、第三次フェルナンドの戦争、第二次グルジア・モンゴル戦争、コソボの戦い、ニコポリスの戦い、フォルミニーの戦い、アッペンツェル戦争、トルクメン・ジョージア戦争、ポーランド・リトアニア・ドイツ騎士団戦争、シュレースヴィヒ戦争、飢餓戦争、フス戦争、ゴルブ戦争、アルベドの戦い、ロンバルディア戦争、ポーランド・ドイツ騎士団戦争、アルバニア・ヴェネツィア戦争、第一次辺境伯戦争、コンスタンティノープルの戦い、十三年戦争、薔薇戦争、オスマン・ヴェネツィア戦争、モンテリーの戦い (公益同盟戦争)、リエージュ戦争、第二次オルメドの戦い、ヴァルツフート戦争、ボヘミア戦争、デンマーク・スウェーデン戦争、イングランド・ハンザ同盟戦争、第二次カスティーリャ継承戦争、オーストリア=ハンガリー戦争、ジョルニコの戦い、ギネガテの戦い、フェラーラ戦争、Lochmaben Fairの戦い、マッド戦争、クレヴォラドッソラの戦い、ロヴェレートの戦い、ソーキバーンの戦い、モスクワ・リトアニア戦争、クルバヴァの戦い、クロアチア・オスマン百年戦争、イタリア戦争(1494〜1498年)、ロシア・スウェーデン戦争(1495–1497)、ロテブロの戦い、スワビアン戦争、イタリア戦争(1499年-1504年)、マリニャーノの戦い、サン・バシサクの戦い、ゲルデルン戦争、ランツフート継承戦争、カンブレー同盟戦争、ポーランド・モルダヴィア戦争、ザクセンとエッツアルト1世の戦争、ポーランド・ドイツ騎士団戦争、スウェーデン解放戦争、オスマン帝国・ハプスブルク家戦争、騎士戦争、イタリア戦争(1522–1559)、ドイツ農民戦争、第一次カッペル戦争、第二次カッペル戦争、伯爵戦争、塩戦争、シュマルカルデン戦争、Sauðafellの戦い、第二次辺境伯戦争、ロシア・スウェーデン戦争、リヴォニア戦争、ユグノー戦争、北方七年戦争、マルタ大包囲戦、八十年戦争、グルジア・オスマン戦争、ポルトガル継承戦争、ケルン戦争、英西戦争、オランダ・ポルトガル戦争、ポーランド継承戦争、ロシア・スウェーデン戦争(1590–1595)、長期戦争 (オスマン帝国)、モルダヴィア・マグナート戦争(1593–1617)、アイルランド九年戦争、モルダヴィア・マグナート戦争(1595–1621)、カジェル戦争、シギスムンドに対する戦争、ラ・オーグの海戦、スウェーデン・ポーランド戦争、ロシア・ポーランド戦争(1605–1618)、イングリア戦争、カルマル戦争、ウスコク戦争、三十年戦争、ポーランド・オスマン戦争、英仏戦争、マントヴァ継承戦争、スモレンスク戦争、ポルトガル王政復古戦争、三百三十五年戦争、英蘭戦争、年スイス農民戦争、第一次ブレーメン戦争、ロシア・ポーランド戦争(1654–1667)、北方戦争、フィルメルゲン戦争、墺土戦争、第二次ブレーメン戦争、ポーランド・コサック・タタール戦争、ネーデルラント継承戦争、仏蘭戦争、第二次ジェノヴァ・サヴォイア戦争、スコーネ戦争、露土戦争、再統合戦争、大トルコ戦争、大同盟戦争、

 

18世紀:

大北方戦争、スペイン継承戦争、ラーコーツィの独立戦争、トッゲンブルク戦争、オスマン・ヴェネツィア戦争、墺土戦争(1716–1718)、四国同盟戦争、ロシア・ペルシャ戦争、英西戦争(1727–1729)、ポーランド継承戦争(1733–1738)、ロシア・トルコ戦争、オーストリア・トルコ戦争、オーストリア継承戦争、シュレージエン戦争、ロシア・スウェーデン戦争(1741–1743)、七年戦争、ロシア・チェルケス戦争、バール連盟の戦争、露土戦争(1768–1774 )、アメリカ独立戦争、バイエルン継承戦争、ケトル戦争、墺土戦争(1787–1791 )、露土戦争(1787–1792)、第一次ロシア・スウェーデン戦争、ポーランド・ロシア戦争、フランス革命戦争

 

19世紀

マレンゴの戦い、アウステルリッツの戦い、アハルツィヘの戦い、ソルフェリーノの戦い、リッサ海戦、スーリオーテ戦争、ナポレオン戦争、第一次セルビア蜂起、ロシア・ペルシャ戦争、露土戦争 (1806年-1812年)、第二次ロシア・スウェーデン戦争、ポーランド・オーストリア戦争、コーカサス戦争、ギリシャ独立戦争、フランスのスペイン侵攻、ロシア・ペルシャ戦争 (1826年-1828年)、Malcontentsの戦争、露土戦争 (1828年-1829年)、十日戦争 (ベルギー独立革命に続く)、十分の一税戦争、ヴァンデとChouannerieでの戦争 (1832年)、第一次カルリスタ戦争、第二次カルリスタ戦争、分離同盟戦争、ハンガリー革命と独立戦争、第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、第一次イタリア独立戦争、クリミア戦争、マフトラ戦争、第二次イタリア独立戦争、モンテネグロ・オスマン戦争、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、普墺戦争(1866)、第三次イタリア独立戦争、普仏戦争、第三次カルリスタ戦争、セルビア・オスマン戦争、モンテネグロ・オスマン戦争、露土戦争、セルビア・ブルガリア戦争、希土戦争

 

20世紀

伊土戦争、第一次バルカン戦争、第二次バルカン戦争、第一次世界大戦、露土戦争、ウクライナ独立戦争、ウクライナ・ソビエト戦争、ウクライナ・ポーランド戦争、エストニア独立戦争、グルジア・アルメニア戦争、アルメニア・アゼルバイジャン戦争、ラトビア独立戦争リトアニア独立戦争、リトアニア・ソビエト戦争、リトアニア独立戦争、ポーランド・リトアニア戦争、ポーランド・ソビエト戦争、ジョージア・ロシア戦争 (赤軍のジョージア侵攻)、ハンガリー・ルーマニア戦争、ジョージア・トルコ戦争、ポーランド・チェコスロバキア戦争、希土戦争、トルコ・アルメニア戦争、イタリア・ユーゴスラビア戦争、チェコスロバキア・ハンガリー戦争、アイルランド独立戦争、ヴロラ戦争、第二次世界大戦、冬戦争 (ソ連のフィンランド侵攻)、ギリシャ・イタリア戦争、継続戦争、バルト三国のゲリラ戦争、第一次タラ戦争、第二次タラ戦争、トルコのキプロス侵攻、第三次タラ戦争、ナゴルノ・カラバフ戦争、トランスニストリア戦争、ロシア・アブハジアの同盟に対する第一次ジョージア戦争、第二次ジョージア戦争、ダゲスタン戦争…

 

 

日本は海を隔てて大陸から離れた島国であるという地理的な条件から、他の国から攻められる危険性がとても低い国でした。

 

イギリスも島国ですが、例えばイギリスとフランスの間は約34kmで、泳いで渡れる人もいる程大陸と近い距離です。

 

日本に最も近い韓国の場合、海が隔てる距離は約200kmあり、さらには海流が速くて場所によっては暗礁や浅瀬、渦もあり、小さな船で渡るのは簡単ではありません。

 

それでも鎌倉時代の1274年と1281年の2度、マルコ・ポーロが蒙古で活躍していた頃、蒙古とその属国であった高麗の大軍に襲われたことがあります。

 

元寇あるいは蒙古襲来と呼ばれる、当時の大陸を支配していたモンゴル帝国と、その属国であった高麗(朝鮮半島)が、当時の規模で世界最大の武装船団で攻めて来たことがあります。

 

蒙古軍は2度とも敗退していますが、もしその時に日本が蒙古に侵略されていたら、今の日本は無いか、あっても全く別の姿の国になっていたはずです。

 

蒙古軍の敗退の理由は、その時に偶然に起きた神風と呼ばれる暴風雨のおかげであると一般的には語られていますが、迎撃のために集まった九州の鎌倉武士たちは、かなり強くて蒙古軍を追い払っていたそうです。

 

鎌倉武士の強さは、江戸時代の武士の間でも良く知られているほどで、「鎌倉武士のようだ」と言われるのが江戸時代の武士に対する最高の褒め言葉であったそうです。

 

このように日本は、常に北からの危機感を持ち続けていましたが、ついにそれが日清戦争や日露戦争につながりました。

 

それでも日本はヨーロッパと比べれば、極端に他国との戦争が少なく平和であったことが歴史によって示されています。

 

そして国内でも天皇が権威を保ち、武家、将軍家が権力を握ることによって、内乱があっても天皇家、国家はずっと続きました。

 

さらに日本は軍事的にとても強い国だったので、14世紀の終わりから約500年間も続いた世界の植民地時代でも独立を続けていられました。

 

14世紀の終わりから20世紀の中頃まで約500年間続いた植民地時代の世界は、植民地を支配する西洋の白人の国々と、支配される有色人種の植民地の国々かのどちらかに大きく分かれていました。

 

例外的に植民地にならなかった有色人種の国は、世界中で僅かに2ヶ国、タイと日本だけでした。

 

タイの場合、なぜ植民地にならずに済んだのかというと、タイをはさんで隣接する2ヶ国が、植民地の奪い合いで争っていたイギリスとフランスの植民地となっていて、タイがちょうどその緩衝地帯になっていたからです。

 

中国は国ごと丸々植民地だったのではありませんが、イギリスと香港の関係が示すように、国中のあちこちを複数の白人国から削り取られた状態でした。

 

アメリカ、中南米、カナダ、オーストラリアには、元々そこに住んでいた先住民族がいましたが、どこも例外なくヨーロッパ人の残虐な行為によって奪われ植民地になりました。

 

16世紀の前半、大航海時代の始まりの頃、スペイン、ポルトガルの宣教師が日本に来始めた頃は、日本国中で戦いが行われていた群雄割拠の時代でした。

 

あの織田信長の時代に日本に来た宣教師たちは、当時の日本の様子を見て、敵・植民地にするには適さない国であると本国に報告しています。

 

「日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。(中略) 国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服可能な国土ではない」アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、イタリアカトリック教会司祭(1539~1606)

 

「日本の住民は、性質温良にして礼儀を重んずることはなはだしく、戦に臨みては勇敢、国法厳にして、犯したる者は豪も仮借するところなし」ウィリアム・アダムズ(三浦按針)イギリス人航海長(1564~1620)

 

器用で真面目な日本人は、種子島に伝わった鉄砲をすぐに自分で作り始め、10年ほどで量産まで始めてしまい、当時の日本の鉄砲の数は世界一のレベルにまで達し、ヨーロッパ全体の鉄砲の数を上回ったそうです。

 

次の言葉は、幕末に日本にやって来た黒船の指揮官、マシュー・カルブレイス・ペリー 海軍大将(1794-1858)が残した言葉です。

 

「実用的、機械的技術において日本人は非常に巧緻をしめしている。(中略) 彼らの手作業の技術の熟練度は素晴らしい。日本の手工業者は世界のいかなる手工業者にも劣らず練達である。

 

よって国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に追いつく日はそう遠くはないであろう。他国が発展させてきた成果を学ぼうとする意欲が盛んで、学んだものをすぐ自分なりに使いこなすことができる。

 

だから、国民が、外国との交流を禁止している排他的政策(鎖国) が緩められれば、日本はすぐに、最も恵まれた国の水準までに達するであろう。文明世界の技能を手に入れたならば、日本は将来きっと機械工業の成功を目指す強力な競争国となろう」

 

群雄割拠の時代の織田信長から豊臣秀吉に、そしてさらには徳川家康に日本の歴史のバトンが渡り、徳川幕府はそういった西洋からの侵略を避けるために鎖国をしました。

 

260年間も鎖国を続けられたことも、いかに日本が強かったかを表しています。

 

国が弱ければ、いくら鎖国をしても無理矢理にこじ開けられて侵略され、植民地にされてしまいます。

 

ですが、長かったその鎖国も、アメリカのペリーの黒船に代表される、発達した西洋の脅威の前に、ついに開国させられました。

 

開国直後は、植民地化されてしまうのではないかという恐れから、その頃に日本にやって来た多くの外国人が日本の武士に襲われて死傷しました。

 

当時の日本に訪れていた外国人の国内移動には、必ず幕府の武士が何人も護衛についていたほどです。

 

薩英戦争にまで発展する生麦事件は特に有名ですが、当時の西洋人にとって、既に植民地としていたアジアの他の国々とは日本は違うと思ったことは、前述の宣教師の本国への報告から見ても間違いありません。

 

幕末の武士による外国人襲撃事件:

1857年ハリス襲撃未遂事件、ロシア海軍軍人殺害事件、フランス領事館従僕殺害事件、日本人通訳殺害事件、フランス公使館放火事件、オランダ船長殺害事件、フランス公使従撲傷害事件、マイケル・モース事件、ヒュースケン殺害事件、第一次東禅寺事件、第二次東禅寺事件、生麦事件、英国公使館焼打ち事件、井土ヶ谷事件、鎌倉事件、鳶の小亀事件(フランス水兵殺害)、ハリー・パークス恫喝事件、アーネスト・サトウ襲撃事件、イギリス水兵殺害事件(イカルス号事件)、ヘンリー・スネル襲撃事件、英国水兵襲撃事件、神戸事件、堺事件、パークス襲撃事件…

 

これを見ると、当時に起きた武士による外国人襲撃・殺害事件がいかに多かったかが分かります。

 

そのようなことから、当時の日本人は西洋人から危険で野蛮だと思われていたかも知れません。

 

ですが実際の野蛮人は、世界中の有色人種の国々を侵略して残虐な行為をおこない、ことごとく植民地にしていた白人、西洋人の方であるのは明らかです。

 

昔から極端に戦争が少ない日本人は、謙遜、謙虚、協調を重んじる真面目で平和な農耕民族です。

 

311の時に世界中から称賛された被災地の人たちの行動、態度もそれを証明しています。

 

前述のウィリアム・アダムズ(三浦按針)航海長(1564~1620)も書き残している通りです。

 

「日本の住民は、性質温良にして礼儀を重んずることはなはだしく、戦に臨みては勇敢、国法厳にして、犯したる者は豪も仮借するところなし」

 

但し、日本はいざとなると、とても強くなる性質を持っています。

 

その強さは、明治の文明開花の前、西洋から遅れを取っていた幕末でさえ、薩摩藩だけでイギリスと戦争をしたり、長州藩だけでアメリカ、イギリス、フランス、オランダの連合国と戦争をしてしまうほどです。

 

前者は薩英戦争、後者は下関戦争と呼ばれ、下関戦争では長州側の戦力が無力になって負けたものの、両軍の死傷者の数に大きな差はありませんでした。

 

薩英戦争の方は、鹿児島の町が砲撃で焼けたりはしたものの、結果的には死傷者の数がより少ない薩摩側の勝利と判断されています。

 

それでも鎖国中の特に武器の発達の遅れによる相手国の強さに気が付いた薩長の両藩は、戦った相手国の特にイギリスと近づき、軍や武器の発展に努めました。

 

薩長の2藩が牽引して明治政府が出来上がりますが、敵対した幕府側にはフランスが付きました。

 

ここでも西洋の国がいかに貪欲で、日本という国からいかに多くの利を得ようとしていたのかが伺えます。

 

さて、鎖国中の日本では文化、芸術がとても発達して、ピカソなどの西洋の著名な芸術家に大きな影響を与えた浮世絵を代表に、ジャポニズムと呼ばれて西洋で騒がれました。

 

それらは陶器、漆器、建築、庭園、金細工、家具工芸品、文学などで、アール・ヌーボーの作品などにも強い影響が見られます。

 

1659年にヨーロッパへの輸出が始まった日本の瀬戸物、伊万里焼や有田焼はドイツのマイセン、フランスのシャンティー、イギリスのチェルシーに大きく影響しました。

 

関孝和という、アイザック・ニュートンやライプニッツに引けを取らない数学者も生まれたりしていましたが、その頃の西洋では蒸気機関の発明に代表される産業革命が起きていました。

 

鉄砲の量産や改良など、鎖国前には西洋と比べても決して劣らなかった日本の技術力も、鎖国中の西洋の産業革命などによる急速の発展からは遅れ、そのことに気が付いた日本は慌てました。

 

そして多くの優秀な日本人が西洋に勉強に出かけて、あらゆる進んだものを必死で学び、日本で取り入れました。

 

それらは多岐にわたり、軍事、政治、医学、法学、文化、風俗でしたが、いわゆる文明開花が起こり、殖産興業や富国強兵・脱亜入欧が進められました。

 

その明治の日本の急速な発展は世界が驚くほどで、さらにはその後に起きた日清、日露戦争での勝利に世界は驚愕しました。

 

日清戦争では、当時「眠れる獅子」と呼ばれた大国の中国(清国)を破ってしまいました。

 

その後に日露戦争が起こりますが、日清戦争において漁夫の利を狙うロシアが描かれた風刺画が残っています。

その風刺画が仄めかしていたように、日清戦争の僅か約10年後に日露戦争が起きましたが、世界最大、最強の国であったロシアをも破ってしまいました。

 

どちらの戦争も、相手国の軍事力の方が圧倒的に強く、世界の予想は相手国側の勝利でした。

 

日露戦争での勝利は、世界を驚かせただけではなく、ロシアに虐げられていたトルコやインド、東欧諸国他の多くの国々に大きな勇気と希望を与えました。

 

「インドのイギリスからの独立に生涯をかけようと自分に決意させたものは、日露戦争における日本の勝利です。日本のように団結して事に臨めば、独立は必ずや可能になる。そのことを日本の勝利が教えてくれたのです」インド元首相、ネルー

 

その頃に中国は、日本に学べということで、累計6万人以上にも及ぶ留学生を日本に送りました。

 

彼らは日本語に訳された膨大な量の西洋の書籍を学んで中国語に訳しましたが、その時に多くの日本製の漢字が中国に伝わって今でも使われていることは日本人も中国人もあまり知らない事実です。

 

「現代中国語の中の“日本語外来語”は、驚くほどの数がある。統計によれば、わたしたちが現在使用している社会・人文科学方面の名詞・用語において、実に70%が日本から輸入したものである。(中略)最後にわたしは言いたい。わたしたち(中国人)が使用している西洋の概念について、基本的には日本人がわたしたちに替わって翻訳したものであり、中国と西洋の間には、永遠に日本というものが挟まっているのである。」南京大学文学部教授の王彬彬氏(1962年~、肩書は当時)の「中国語の中に非常に多い“日本語外来語”」という論文から。

 

 

日清、日露戦争後の第一次世界大戦でも日本は戦勝国となりました。

 

日本には参戦する理由が特にありませんでしたが、日英同盟を結んでいたために、イギリスから要望を受けての参戦でした。

 

そこで日本は中国でドイツ軍を負かし、地中海ではドイツの潜水艦から多くの味方国の軍需船を守りました。

 

当時のドイツの潜水艦 U-Boot はとても強く、どの国もU-Boot と戦うのを恐れていたところに、日本は手を上げるように進んでその任を引き受けました。

 

佐藤皐蔵少将を司令官とする第二特務艦隊は348回の船団護衛に従事して、護送した軍艦・輸送船は英国籍を主として延べ788隻、護送人員は75万人に及びました。

 

当時のイギリス海軍は、被雷した僚艦を救助しようとして接近した2隻がU-Boot の雷撃を受け、3隻とも撃沈され6,000人が戦死する事態が起きたことから、被雷時の救助を一切禁じていました。

 

ところが、日本の第二特務艦隊はUボートの雷撃を受けて沈没しつつあるイギリス兵員輸送船トランシルヴァニアに接舷して、大きな危険を冒しながらも生存者の救助にあたりました。

 

その英雄的な行為に驚いたイギリスは、海軍大臣ウィンストン・チャーチルから深い謝意を表する電報が届けられた他、両艦の艦長以下20数名には英国王ジョージ5世から勲章が授与されたほどです。

 

ベルギー王国からは、連合国勝利への勝因の一つとして多大な貢献をしたとして、ベルギー王冠勲章グランド・オフィサー章が授与されました。

 

その活躍にドイツを除いた戦勝国側の西洋諸国は驚き、それは1900年の北清事変(義和団事件)にて、欧米列強諸外国公使館を襲う約20万の義和団(中国の暴走軍団)の攻撃から、3千人以上の公使館員、クリスチャンをわずか500人足らずの兵士で最後まで防ぎ守って大活躍し、特にイギリスでも有名な柴五郎中佐と共に、日英同盟が結ばれることになったり、第一次世界大戦後に日本が世界の五大国と呼ばれるに至ることに大きく貢献しました。

 

 

その第一次世界大戦のパリ講和会議にて日本は、史上初となる人種差別撤廃案を提出しています。

 

「おそらく世界で最も有望な有色人種の期待の星、それが日本であるという確信。我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」日本がパリ講和会議において、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきであることを提案して議論したことについて…   レジナルド・カーニー、歴史学者、黒人学専攻。

 

 

今日、驚くほど多くの日本ファン外国人がいますが、それらのファンの中の特にインテリ層は、ちょんまげ姿で刀を持ち歩いていた江戸時代から明治にかけて、どうしてそんなに早く日本が発展できたのかがとても不思議らしくて興味を持ちます。

 

でもその理由は簡単で、江戸時代の日本人の姿はちょんまげと帯刀姿で遅れているように見えるものの、実際には少しも劣らなかったのです。

 

蒸気機関こそは発明できなかったものの、元々が真面目に何事にもコツコツと取り組む国民性で、多くの優秀な人材が切磋琢磨を続けていたのです。

 

それは前述の通り、日本に開国を迫り、明治維新につながることの元になった黒船の指揮官、マシュー・カルブレイス・ペリー 海軍大将一行も認めていました。

 

日本という国は、とてもきれいな海に囲まれて、富士山に代表される美しい山々や、その美しさをさらにきわ立てる四季に恵まれています。

 

ですがそれと同時に、世界で最も多くの天災、自然災害が起こる地域のひとつであるという地理的な影響が大きいと思われます。

 

日本人は、太古の昔から地震、津波、火事、台風、火山、豪雪、鉄砲水、土砂崩れなどの天災に見舞われ続けて来ました。

 

忘れた頃に必ずやってくる天災によって、太古の昔から不屈の精神が培われました。

 

「しょうがない」という、海外には存在しない言葉が示す諦めと同時に必ず立ち上がり、コツコツとまじめに努力をする国民性はそこから生まれたようです。

 

 

「日本人はいつに変わらぬ陽気さ呑気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった」エドゥアルド・スエンソン デンマーク人フランス海軍中将(1842~1921)、1866年11月26日の横浜の大火を見て...

 

「日本人の態度には驚いた。泣き声ひとつ聞こえなかった。絶望なんてとんでもない! 彼らの顔には悲しみの影さえもなかった。それどころか、台風なんてまったく関心がないという様子で、嵐のもたらした損害を修復するのに忙しく働いていた」ヘンドリック・コンラット・ヨアンネス・ヒュースケン、江戸時代後期、駐日アメリカ総領事館の通弁官が下田を襲った台風が1/3の建物を破壊した後の日本人の態度を見て。

 

 

それらの自然災害は、全国で同時に起きるのではなく、一部の限定された地域で起こります。

 

ある地域で災害が起こると、他の地域の人たちが助けに行きます。それが太古の昔から繰り返されてきて協力性、協調性が生まれました。

 

大きな災害が起きてもめげずに周りのみんなと協力し合って諦めずに必ず立ち上がり続けてきた「忍耐」と「和」のDNAが、日本人の身体の中に脈々と流れ続けています。

 

セロトニントランスポーター(不安遺伝子)は、神経伝達物質をやりとりするシナプス間隙において神経伝達物質セロトニンの濃度調節を行っている蛋白質です。

 

太古の昔から天災を受け続けてきたせいか、そのセロトニントランスポーターを最も多く、約80%持っているのが日本人だそうです。

 

アメリカ人は44%、南アフリカ人は28%だそうです。

 

不安を持つからコツコツと努力を積むようになります。

 

ところが、戦後の日本は残念ながら本来の日本とは違う情けない姿になってしまっています。

 

その理由はまず第一に、第二次世界大戦での敗戦後に、進駐軍のGHQが日本を占領していた6年以上も洗脳工作を行ったからです。

 

GHQによる言論統制、検閲、焚書、禁書によって、学校の教科書は真っ黒に塗りつぶされ、日本人が誇りに思う歴史上の人物の本などがなくなりました。

 

それはWGIP(War guilt Information program/戦争責任情報計画)と呼ばれています。

 

それらの工作によって、(反日)左翼と呼ばれる多くの従順な日本人が、「残虐大悪人の日本人は戦争を起こし、アジアの国々に侵略した」と信じ込まされる、いわゆる自虐史観に染められてしまいました。

 

第二次世界大戦が起きた本当の背景には、アメリカが日本に対して輸出禁止で経済封鎖を行い、日本が立ち行かないようにしたことがあります。

 

当時の日本は、国内で必要なエネルギーとして不可欠な石油以外にも、多くのものをアメリカからの輸入に頼っていました。

 

それらが輸入できなくなると、日本の経済はストップしてしまうどころか、交通は麻痺し、食事が作れず夜間の照明はなくなり、冬には暖を取ることもできなくなって文明生活が成り立たなくなります。

 

そのことについては、日本占領期間中のGHQの最高司令官、マッカーサー元帥が、1951年の米国上院軍事外交合同委員会にて次のように述べています。

 

「日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。 しかし、彼らは労働力はあっても、絹産業以外には蚕のほかに取りたてて固有の産物はほとんど何もありません。綿がない、羊毛がない、石油がない、錫がない、ゴムがない。

 

その他じつに多くの原料が欠如しています。それら一切のものはアジアの海域に存在していたのです。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。 それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障の必要に迫られてのためであった」

 

 

そして第31代アメリカ大統領のハーバート・クラーク・フーヴァーは… 

 

「若し吾々が日本を挑発しなかったならば、決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう」

 

 

ハミルトン・フィッシュ 共和党上院議員は…  「ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。 そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた」

 

ハリー・エルマー・バーンズ アメリカ歴史学者は…  「大西洋でヒトラーを戦争行為に挑発出来ない事がはっきりしてきた1941年6月の、日本の経済的封殺で始まった戦術の切り替えを除いては、戦争への道は まったく直線的であった。全局面を通じる戦争工作の建築家であり大指揮者だったのはフランクリン・デラノ・ルーズベルトだ」

 

 

また、東京裁判において東郷茂徳、梅津美治郎等、日本側の弁護人を務めたアメリカ東京裁判弁護士、ベン・ブルース・ブレークニー氏は…

 

「こんな最後通牒を出されたら、モナコやルクセンブルグ(のような小国)でも武器を取って立つ」

 

それほど高圧的、屈辱的なもだったのです。

 

ヨーロッパでは当時、ドイツ・イタリアとの戦いで苦戦を強いられていたイギリスは、アメリカの応援、参戦を求めていました。

 

ですがアメリカのルーズベルト大統領は、大統領に当選した時に、国民に対して戦争には参加しない、アメリカの若者の血は流させないと誓っていました。

 

そこでまずは日本にアメリカを攻撃させて、それをアメリカの国民が憎み、国民感情を参戦に向けて煽る必要がありました。

アメリカの洗脳工作の他にも、それを政治カードに使えることに気がついた中韓が、慰安婦問題南京事件などのさまざまな捏造の歴史を作りだして、従順で無知か親中の日本の一部の政治家から嘘の謝罪の言動を引き出し、多額の賠償金などを得ています。

 

また、それにより多くの日本人が騙され続け、騙される度合いがひどい人は反日左翼になり、軽度な人でも自虐史観に染まってしまっています。

 

過去の栄光の歴史に封印がされてしまい、日本人は悪者であると信じ込まされた多くの日本人は誇りも自信も元気も失ってしまいました。

 

「国を消滅させるには、その国民から誇りを奪えばよい」と言われますが、徹底的に日本を痛めつけて、2度と立ち向かえないように仕向けたアメリカGHQの作戦は大成功しました。

 

神風特攻隊やとても強い軍隊などで無謀とか野蛮と思われた日本人は、元々は協調性があって素直で従順、言われたことをコツコツ行うので、その作戦はむしろ成功し過ぎてしまったのです。

 

歴史の事実は、約500年もの長い間続いた世界の植民地時代にずっと独立を保ち、20世紀の中頃にその終止符を打ったのは他ならぬ日本でした。

 

第二次世界大戦中の時に日本は、その当時に先進西洋諸国の植民地となっていた東南アジア諸国において、宗主国として支配していた西洋諸国と戦って追い出しました。

 

東南アジア諸国の独立を促すために、各国の独立意欲のあるリーダーたちを応援して軍事育成に努めました。

 

反日勢力が主張する、「日本は戦争を始めてアジア諸国に侵略した悪い国」というのは真っ赤な嘘で、その実態は、植民地支配されている国々から白人を追い出して独立に協力し、平等と平和を求めようと主導しました。

 

 

「日本はインドネシア語の公用語化を徹底して推進し、インドネシア国民としての連帯感を人々に植え付け、広域の大衆をインドネシアという国家の国民として組織した。とくに若者に民族意識を植え付け、革命の戦闘的情緒と雰囲気を盛り上げた。またPETAの革命における意義は大きく、これなくしてインドネシア革命はありえなかった」ジョージ・カナヘレ、アメリカ(ハワイ)日本軍政研究家、歴史家。

 

 

「大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。 その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

 

日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 

 

東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた」ジョイス・C・レブラ、アメリカコロラド大学歴史学博士・歴史学部教授

 

 

結果的に日本は敗戦となりましたが、敗戦後も多くの日本軍人が現地に残って独立戦争に協力し、結果的に東南アジア諸国は全て支配国から独立することに成功しました。

 

人種差別をなくして、世界平和的な事業に貢献することが出来た日本は、今現在はまだ無理でも、100年後の将来、20世紀に起こった地球上の全ての出来ごとの中でも最も賞賛されることのひとつとして歴史に残るでしょう。

 

「日本が立派にやり遂げたことは、欧米の植民地帝国を完全に破壊したことである」O・ラティモア、元中華民国(蒋介石)顧問のアメリカ人

 

 

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた」ハーバート・ジョージ・ウェルズ、イギリス著作家

 

 

「あなた方の日本国は、『アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた』と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。

 

何故ならば、あなた方の国の 人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を 振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。

 

本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。

 

本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れま したが、東亜の解放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。

 

その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。 日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります」エドゥアルト・ヴァン・ティン 元アムステルダム市長、内務大臣を歴任

 

 

「アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私達アジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争というものは本来なら、私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います」モハメッド・ナチール インドネシア元首相

 

 

「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続 いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

 

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。

 

そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない」ブン・トモ、インドネシア元情報相

 

 

「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1.000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績をたたえて殊勲賞を贈っているが、それだけですむものではない」サンパス インドネシア元将軍・東欧大使・復員軍人省長官

 

 

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。

 

今日、東南アジ アの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

 

十二月八日 は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。ククリット・プラーモート(Kukrit Pramoj/1911-1995)タイ元首相。生前(1955年)、タイで最も権威ある新聞サイアム・ラット紙/12月8日への投稿。

 

 

「あの戦争によって、世界のいたるところで植民地支配が打破されました。そしてこれは、日本が勇戦してくれたお陰です。新しい独立国が、多くの火の中から不死鳥のように姿を現しました。誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です」タナット・コーマン タイ元副首相。

 

 

「インドが独立できたのは、日本のお陰である。インドのみではない。ベトナムであれ、ビルまであれ、インドネシアであれ、西欧の旧植民地であった諸国は、日本人が払った大きな犠牲の上に独立できたのである。我々アジアの民は、1941年12月8日をアジア開放の記念日として記憶すべきであり、日本に対する感謝の心を忘れてはならない」ラダクリシュナン、インド第二代大統領

 

 

明治から昭和にかけての日本が原動力となった人種差別撤廃や、東南アジアの植民地解放は、今から100年もたった頃の世界の人々が20世紀を振り返った時に、世の中で最も大きな貢献だったと歴史に残っているはずです。

 

ところで海外に行く時に必ず必要なのがパスポートです。

 

前もってビザを申請しておかなくても、そのまま入国できる国が最も多いパスポートのひとつが日本のパスポートです。

 

反日国は中韓の僅かに2ヶ国。北朝鮮を入れても3ヶ国。

 

反日には日本人にもいますが、それらの人たちが言う、「日本人は残虐な軍国主義者で、アジアを侵略した世界の嫌われ者」というのはとんでもない大嘘です。

 

その実際は、世界中に多くの親日国があり、その数には驚くものがあります。

 

それは日本には昔から極端に戦争が少なく、敵対する国も極端に少ないこととや、日本人の性格がおとなしくて謙虚なことから来ています。

 

そういう日本人が明治の頃から海外に移住して、現在の親日国が多くできました

 

つまりそれは私たちのひいお爺さんやひいお婆さん、そしてそれ以前の日本人のおかげです。

 

311の時の被災地の人たちの姿は、そのような貴い日本人の態度が今日でもまだ健在であることを示して世界中から称賛されました。

 

ですが気を抜くことはできません。親殺しや子殺しのような悲惨な事件も起きています。

 

政治の世界も、政治家や政党の私利のためだけに存在して、ずっと迷宮の中にあり続けています。

 

今一度、1人1人の日本人が襟を正して本来の日本人らしく振舞い、その背中を世界の人たちが見て真似をしてくれるくらいになれば本物です。

 

常に本来の日本人らしく振る舞い、さらに日本ファン外国人が増える理由の1人になってください。

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