日本の「将棋」
チェスや将棋などのボードゲームのオリジナルは、古代インドのチャトランガというものだそうです。
それが各国に伝わって、その国々独自のボードゲームに進化発展。
西洋ではチェス、中国では象棋(シャンチイ)。
日本の将棋の場合は、世界で唯一、取った駒の再利用が何度でも可能です。
よって局面展開の複雑さがチェスとは100桁違います(チェスのゲームツリー探索は10の120乗オーダーで、将棋は10の220乗) 。
スーパーコンピューターの進化は凄まじく、将棋の名人も既に破られてしまいましたが、確かにチェスの方が何年か早く破られています。
この世界で唯一の取った駒の再利用について思い浮かぶことがあります。
それは戦国の時代からの日本人の戦いです。
当時の日本人同士での戦闘は、勝利した方が、負けた方の大将の首を取ります。
ですが、首を取られた大将を慕って自害する幹部兵などの例外はあっても、他の大多数の部下を勝った方に味方として向かい入れています。
つまり、将棋の駒の再利用と同じなわけです。
それとは対照的に、大陸での戦いは、負けた方の兵隊は皆殺しにされる傾向があります。
中国では、負けた方の大将の家系のお墓まで暴かれて滅茶苦茶にされるそうです。
過去の西洋の戦いでも、負けた陣地に大量の塩を撒いて食用の野菜などが育たないようにした歴史がありました。
つまり駒の再利用という考え方は無いのです。
「鉄砲を捨てた日本人」という本があります。
朝鮮戦争の頃に日本を経由して出兵した、ノエル・ぺリンというアメリカ人が書いた本です。
本の内容を短く一言でまとめると、次のようになります。
「日本という国は、その昔に鉄砲が伝わってから、あっという間に世界一の鉄砲の国になりました。
それが間もなくすると、鉄砲を放棄するかのように手放して刀剣に戻りました。
世界の武器の歴史上、あり得ないことが起こったそうです。
その日本を見習えば、この世から核を無くすことも決して不可能ではありません」
そういう願いが込められた本です。
戦国の時代、種子島に日本で最初の鉄砲が届き、それを真似してあっという間に先進西洋諸国以外で大量生産を行い、当時の日本は世界一の鉄砲の国になったそうです。
武田信玄の最強の騎馬隊を破った織田信長の鉄砲隊などが有名です。
当時の日本は、世界一の鉄砲の国だけではなく、世界最大の武器輸出国であったそうです。
それは鉄砲だけではなくて、刀も含めてです。
時々聞くお話ですが、日本刀の出来栄え、切れ味は他国の刀と比べると本当に凄いそうです。
但し鉄砲に関しては、改善・改良が続けられる代わりに廃れてしまいました。
刀に戻ってしまったのです。
著者は、それを日本の美学と言いたいようです。
それを見習って核の無い世界にしようというものです。
鉄砲を捨てた日本人を驚き敬っていることが分かり、この人も間違いなく日本ファン外国人です。
彼によると、当時のイギリス人は服の袖で鼻を噛んでいたそうです。
ところが日本人は既に鼻紙を使って鼻を噛んでいたそうです。
当時の西洋人はまだ手づかみで食事をしていたそうです。
日本人は箸を使っていました。
1991年に書かれた本で、著者はダートマス大学の教授としてご健在のようです。
ちなみに縄文時代の日本の貝塚(遺跡)では、世界で唯一滅多に見つからないものがあるそうです。
それは人を傷つけるための武器だそうです。
「やじり」や「おの」などは勿論出てくるそうですが、とても小さいそうです。
小動物を獲るための大きさで、対人に適したサイズではないそうです。
鉄砲を捨てられる、武器を発展させるどころか放棄できるのなら、核も廃棄できるという意見は素晴らしいと思います。
ですがそれ以外にも、元々の日本人の国民性である平和を求めるDNAについても考えてみてもらえればと思います。
欧米を含む大陸、というより日本以外のほぼ全ての地域では、揉め事、問題が起きるとまずは話し合いをします。
そしてその話し合いで決着がつかないと争い、戦いになります。
日本の場合は、それがまずは我慢となります。
そして我慢で済まなくなると、謝罪から始まる交渉になります。
「すいません…」と。