日本人は昔から教育に力を入れる国民性を持っていますが、それも日本列島が自然災害列島、天災列島であることと関係がありそうです。
自然災害、天災が起こると何もかも破壊されてしまいます。でもだからといって、そこで途方に暮れているわけにはいきません。
再び立ち上がって、一からコツコツと生活の基盤を築き上げていかなければなりません。
教育を普及させておけば、そのコツコツと築き上げていくのが上手く、早くなります。
そのことに気が付いた昔の日本人は、教育に力を入れるようになったのではないでしょうか?
「日本人は既に7世紀初頭に紙を製造し、1206年には中国式の木版印刷術が伝来した。帝の都は日本における文学の中心になっているらしく、そこでは多数の書物が作られ、多くの文人が住んでいる。
さまざまな等級の学校が日本に存在していることは、昔からヨーロッパ人にも知られていた。
ザビエルによると、当時の京の都の内外に、4つの大学があり、それぞれ三千人から四千人の生徒がいたという。また、坂東の街の近くの教育施設には、さらに多くの生徒が学んでおり、このような学校は帝国中にあったと言っている。
大学や高等学府は京都の他に江戸にもあり、また、長崎にもひとつあることが知られている。帝国内に学校がどのくらいのあるのかはさだかではないが、現状から見て日本では教育は決して軽視されていない。
メイラン(東インド会社商館長)は、男女共にどの階級の児童もみな変わりなく初等学校に通わされると報告しているため、日本には普通学校制度のようなものがあると考えられる。
但し、それが国家によって維持されているのかどうかについては言及していない。そこで生徒は読み書きを習い、自国の歴史に関する初歩的な知識を授けられる。
このようにして、非常に貧しい農夫の子供にも学ぶ機会が与えられているのである。日本の出版元からは、子供や貧しい人々の教育のために、安価で平易な書物が絶えず大量に発行されている。
そのため彼らには廉価本を入手できるのである。裕福な者のための高級本も多いが、安価なものも含めて、刊本の全てに活字と同じ木版に彫られた木版画の挿絵がふんだんに入っている。
これらの本をいくつか調べてみると、最近ヨーロッパやアメリカに導入された多色刷りの技術は、日本では古くから行われていたことが分かる。
したがって、我が国では最近発明したばかりのステロ版印刷や、多色印刷、また大衆向けの廉価本の製作において、日本は数世紀も先行しているのである。
本の分野は、科学、歴史、伝記、地理、旅行記、倫理、博物、詩、物語、百科事典と多岐にわたっている。日本人は男女共に読書好きであり、天気の良い日には、紳士淑女の一団が本を片手に涼しい小川のほとりや木陰に腰を下ろしている姿がよく見かけられるという」
マシュー・C・ペリー他著「ペリー提督日本遠征記(上・下)
「日本では達筆であることが重視されるが、それは文字を美しく書ければ、他の全ての稽古事を上手にこなせると考えられているからであろう。
漢字を素早くきれいにかける人は、それ以外のこともあっという間に覚えてしまう器用さを持ち合わせている。
日本の教育は、記憶力や観察力、手先を器用に使う技術を重視する。その一方で、生徒に物事を論理立てて考える力を養う機会をほとんど与えない。
これは単に教授法の欠点ではなく、日本人が表意文字を使うという根本的な問題に起因している。
世の思想を理解するには、まず文字を覚えなければならないが、日本ではそれに何年も費やさなければならないので、自分の力で筋道立てて物事を考える時間が相対的に少なくなってしまう。
男女共に日本の生徒は学習態度が真面目だし、几帳面で理解力があり記憶力も良い。しかし、日本語の文字を学ぶのに時間がかかるため、残念ながら思考力を養うことができない。
十分な教育を受けた男女でも、結局は他人の考えや意見を学ぶだけで、自分の考えを持つことができないのである」
アリス・ベーコン(米国人)著「明治日本の女たち」