世界のセレブが選ぶ熊野筆
最近では、アメリカ大統領一家が来日した際にも日本からの贈り物の一つとして選ばれたとか...
今や世界でも「Kumanofude」として広く知られるこの筆は、熊野町の歴史と人々の努力が詰まったまさにジャパンクオリティの結晶でした。
熊野町には筆の原材料になるものは、実は一切存在しません。
近隣の岡山県や島根県からだけでなく、海外からも原料を取り寄せ、筆をつくっています。
ではなぜ、熊野町で筆づくりが盛んになっていったのでしょうか。そのルーツを辿っていきましょう。
18世紀末、熊野の人々は農業で生計を立てながら生活していましたが、それだけでは食べて行けず、農閑期には出稼ぎに出ていました。
というのも、熊野は元々平地が少なく、農地になる土地が著しく少なかったのです。
当時の吉野地方(奈良県)や紀州地方(和歌山県)へ出かけ、帰りに奈良や大阪、有馬(兵庫県)に寄り、筆や墨を仕入れて行商(売り歩き)しながら、熊野の地に戻る、この流れが熊野と筆が結びつきを持つきっかけとなりました。
その後、さらに全国に筆や墨の販売先が広島藩の工芸の推奨により広がっていき、いよいよ本格的な筆づくりに向けての技術習得が始まりました。
その中でも熊野出身の若者、佐々木為次・井上治平・乙丸常太の3名が、それぞれ筆づくりのノウハウを学びに派遣されたことは大きな転機となりました。
彼らが熊野に戻り、人々に技術を受け継いでいったことで、熊野の筆づくりは根付いていくこととなったのです。
明治5年に日本最初の近代的学校制度を定めた「学制」が発せられると、身分や性別に関係なく学ぶことができるようになり、学校に行く子どもが増えました。
当時は筆記用具として筆が主に用いられていたため筆づくりの人口も増加し、今までにないより良い筆をと、筆の開発も進められていきました。
そんな中、明治10年には第1回内国勧業博覧会(明治時代に近代産業発展を後押しする形で行われていた博覧会)で熊野筆が入賞したことで、全国にその名が知られていくようになりました。
その後、明治33年に義務教育が4年間になり、さらに大正に入ると通学率も9割を超え、学校教育とともに筆の需要が伸びていくことになったのです。
近代産業が発展していくにつれて他地域の筆産業が衰退していく一方で、熊野町は交通面でも不便な上に、他地域から孤立した状態で他の産業も入ってこなかったということがいい意味で要因となり、目覚ましく発展していきました。
昭和11年には7000万本の筆をつくるまでに至りましたが、第二次世界大戦を機に、働き手が戦争に駆り出され、一時、筆づくりはほぼ凍結してしまいます。
また、戦争が終わって2年後、学校での習字教育が廃止された影響で、熊野の人々はどうにか筆産業を継続できないか考えを巡らせます。
そこで見出したのが「化粧筆」の存在でした。
こうして現在でも親しまれる化粧筆が台頭し、昭和33年には文部省の学習指導要領に毛筆習字が復活したことから、熊野の筆産業は活気を取り戻していきます。
その後、昭和50年中国地方で最初の通商産業大臣(現在の経済産業大臣)により、伝統的工芸品の指定を受けました。
熊野筆には世界が認めるだけの特別な技術とオリジナリティが凝縮されています。
ここでは三つのキーワードを元に、熊野筆が持つ他にはない魅力を余すことなくご紹介します。
日本ではまだまだ職人(職工)と聞くと、男性のイメージが根強く残っています。
しかし熊野筆の最大の特徴は他の筆産地と比べても圧倒的に女性の職人が多く、その数は3分の2以上とも言われていることです。
その理由として、元々農閑期の副業経営として発展したことから、主婦を中心とした女性労働者が家事や農業の傍ら内職として労働しやすかったという歴史があります。
全国でも珍しい女性職人の活躍は、日本の社会に新しい風をを巻き起こしました。
筆づくりには、経験と熟練が必要不可欠なのは言うまでもありません。
例えば筆の毛だけでも多種多様にあり、種類をしっかり見極め選別することもとても大変なことなのです。
最低3年から5年、名人級の技術を身に着けるためには10年以上の厳しい修業が要ります。
しかしながら、よっぽどのことがない限り、筆づくりはどこでも行えるという利点があります。
これは他に転業することなく筆産業を発展させた大きな要因です。
熊野の人々は早くから素晴らしい技術を他県で習得し、長い時間をかけて筆づくりに携わり、自分たちの家族に匠の技術を受け継いでいくことで、後継者を絶やさず筆産業を継続していったのです。
シカやタヌキや猫など獣毛の中から用途に合わせて毛の種類や量を選ぶところから始まり、熊野筆の工程は細かく分けると73もの工程に分けられます。
その中でも「盆混ぜ」は熊野筆の特徴的な製法で、熊野筆の大部分はこの製法を用いています。
「盆まぜ製法」では、寸切りした毛を、箱(盆)の中で乾燥したまま混ぜるので、毛が湿らず混じり具合がよく、弾力が出て、書きやすい筆になるという利点があり、小中学生の毛筆用の筆に適していると言われています。
また一度にたくさんの混毛を作れるという点でも支持されており、筆の大量生産を可能にしたことで、今日の熊野を全国生産量1位へ導きました。
今やハリウッドやパリコレのスタイリストやヘアメイクも注目し、現場でも使用している熊野の化粧筆ですが、実際購入し使ってみよう!となると、そのお手入れ方法が気になる方も多いのではないでしょうか。
「肌に直に触れるものだけれど、洗ってよいものか…」せっかく良いものを購入したからには長く大切に愛用したいのが本音です。
Guidoor Media
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