1800年から1816年まで、17年をかけて日本全国を歩いて測量し、日本の地図を完成。
商売で成功した後に49歳で隠居して、当時の平均寿命を超える高齢50歳の時にまだ31歳だった天文現象に詳しい高橋至時に弟子入りをした。
弟子入りした理由は、昔の中国の暦『授時暦』が実際の天文現象と合わないことに気づいた伊能忠敬がその理由を江戸の学者たちに質問したが、誰も答えられず、唯一回答できたのが高橋至時だったからと言われている。
伊能忠敬は、「推歩(暦学)先生」というあだ名が付くほど寝る間を惜しんで天体観測や測量の勉強をし、幕府の天文台にも見劣りしないほどの観測機器を取り揃えて研究した。
出来上がった地図は、今日のGPSによる地図にひけを取らないほど正確で、ヨーロッパで高い評価を受けた。
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