ルワンダが親日になる大きなきっかけのひとつは間違いなく、のちに日本人初の世界銀行副総裁となり、ルワンダの中央銀行総裁に就任して経済復興に貢献し、日本のイメージを高めた服部正也さんです。
1965年、日本銀行の外国渉外課長を務めていた服部さんに国際通貨基金のIMFから、独立間もないルワンダの中央銀行総裁への要請がありました。
当時のルワンダ中央銀行は破産寸前でしたが、服部さんは勤務していた6年間の間に、さまざまな改革や復興再建計画によって、ルワンダ経済の立て直しをおこないました。
その結果は吉と出て、約5年後にルワンダ経済は復興、服部さんはその後もバス会社や倉庫会社で活動を続けてルワンダの発展に大きく貢献しました。
ルワンダの人たちは勿論そのことに歓喜しましたが、特に喜んだのがバス路線の整備でした。バスがダイヤ通りに走っているのを見ると誇らしく、自分たちも成功できると自信を持ったのです。
また、1994年に起きたツチ族とフツ族による民族闘争、内戦では100万人もの死者が出ましたが、この時にルワンダ人難民の救援に努めたのが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の緒方貞子さんと自衛隊でした。
国外に逃れた難民の保護から、母国への帰還や定住を手助け、ルワンダ人難民の救援をおこないました。
「アフリカの奇跡」とさえ呼ばれる近年のルワンダの急速な経済成長の中で、ルワンダ人は日本の援助に対して深く感謝してくれています。
「あの国」はなぜ日本が好きなのか「ニッポン再発見」倶楽部