中米・ホンジュラスの貧しい村で救済活動に取り組んできた藤山シンさん。自らStudents Helping Honduras(SHH)を立ち上げて数十万ドルもの寄付を集めるなど精力的に活動してきました。
藤山さんは小さい頃、心臓に穴が開いていて、長くは生きられないと医師に宣告されており、不憫な少年時代だったのだとか。しかし、どういうわけかその穴は次第に塞がっていき、普通の子供の同じように過ごせるようになったのだとか。どういう神のいたずらでしょうか。
高校を卒業後、米国のメリー・ワシントン大学へ進学が決まった藤山さん。しかし、大学への入学を延期してなんとブラジルへサッカー留学。藤山さんは体が弱かった少年時代もあってサッカーを思いっきりやることが夢だったのだとか。
ブラジルでは念願叶って思いっきりサッカーを楽しんだそうですが、両親に負担をかけないため、かなり貧乏な生活をしていたのだそうです。
そんなある日、なけなしのお金で買った一切れのパンを持って道を歩いていると物乞いの子供に声を掛けられた藤山さん。自分も空腹であったはずですが、その子供に持っていたパンをあげてしまったのだそうです。
礼を言って立ち去る子供を見送って空腹感とは別の満足感を得たのだとか。この経験がのちの人生を大きく変えるきっかけになっていきます。
ブラジルでのサッカー留学を終えて大学に進んだ藤山さん。学内の研修旅行でホンジュラスの小さな村を訪れたのだそうです。ホンジュラスは軍事クーデターで国内が乱れ、さらにハリケーンによる甚大な被害を受けて失業者が増加し、それに伴う貧困にも苦しむ状況にあります。
藤山さんはあのブラジルで物乞いをしていた子供と同じような子供たちが現地にたくさんいることを知ります。そして、帰途の飛行機で偶然に隣り合わせたのが慈善活動家ヘンリー・オズバーン氏。オズバーン氏は同国の経済状況の悪化で児童養護施設が閉鎖寸前であること、また言葉の壁に悩んでいることを藤山さんに語ります。
ブラジル留学でポルトガル語・スペイン語に堪能になっていた藤山さん。オズバーン氏の誘いを受けてホンジュラスでの活動を決意します。オズバーン氏との出会いといい、何か神の手による導きを感じますね。思えば、ブラジルで出会った物乞いの少年も何か見えざる手できっかけを与えるよう仕組まれていたのかもしれませんね。
それから藤山さんは大学のキャンパス内でビラ配りをして協力してくれる学生を募集し始めます。学生でここまで積極的に活動できるだけでも大したものですね。しかし、ここからすごいのは彼の熱意によって人がどんどん集まっていったこと。
ビラを配るのと同時に現地の写真を見せて窮状を訴える藤山さん。その熱意に学生たちは心を動かされていったのだそうです。人を惹きつけるすごいパワーを持っていたんでしょうね。
こうして実の妹さんの協力も得て、一緒にSHHを設立。寄付した人が税金の控除を受けられるよう正式な慈善団体としても登録します。これって寄付を募る上で相手の大きなメリットとなりますから大事ですね。
そうして2006年に寄付を募るウォークソンを開き、メリーワシントン大学と地元の協力でなんと15万ドルの寄付を集めます。学生の立ち上げた団体で1000万円以上の金額を集めるなんて、24時間テレビもびっくりですね。
そうして集めた資金を元に、児童養護施設の救済とハリケーンで家を失ったシエテ・デ・アブリル村の人々のために家を建てる支援を開始。それもお金だけ渡すのではなく、藤山さんたち自らが現地に足を運び、作業まで手伝っていたのだそうです。そのほか教育・職業訓練・インフラ整備など村人が自立していけるような支援も実施。お金だけ渡すよりも自らの力で貧困から抜け出す手助けをするほうが発展的ですよね。
現在もSHHの事務局長を務める藤山さん。小学校の建設や孤児院の開設などのプロジェクトは現在も進行しています。SHHの組織自体も米国各地の大学や高校に設置されるほどに広がっています。
藤山さん一人で始めた活動が今や大きな輪となっています。ホンジュラスの小さな村のため日々献身的な活動を続ける藤山さん。
出典元: KNOWLEDGE-知識の泉- 藤山シン(SHH代表)のWiki!ホンジュラスで活躍!