谷川洋(ヒロシ) さんが作った学校は、ベトナム159、ラオス91、タイ、中国、ネパール、スリランカで21の合計271校です。
学校を作るのに、現地の人にも加わってもらい、「自分達が作った学校ということで誇りを持ってもらって」村人を巻き込んでいます。
学校に通う子供たちだけではなく、村を超えた父兄の横の繋がりがを作り、その様子を日本の子供たちに学校で教えたり、実際に交流させています。
過去の3つの試練が谷川さんの人生観を作ったそうです。
1948年の福井大地震で兄と共に潰れた家の下敷きになるも幸い助かり、世の中の為になる人間になることを兄弟で誓う。
その内に兄は人の為となる医者になるも、自分は商社マンとしてモヤモヤしていた頃に奥さんをガンで亡くし、60歳になったら世の為、人の為になる新しい人生を歩むと決意。
そして実際に60歳になった時に、元部下で日本財団の海外部長から、アジアの途上国に学校を作るだけではなく、維持運営まで手がける話しが来ました。