木村強
敵対する部族の首を狩り、権力の象徴や呪術などに用いていた首狩り族のブルネイ。
それが第二次世界大戦の時期に、首狩りの習慣が途絶えたという。1942年、第二次世界大戦当時、日本はブルネイを3年間 統治していた
その間、ブルネイ県と呼ばれ、国民は日本語教育を課せられたていた。
日本が統治する以前、1800年からブルネイはイギリスが占領していた。当時のイギリスはジャングルに覆われたブルネイに植民地の魅力を感じておらず、開発作業などを行わなかった。そんな中、日本はイギリスを追い出しブルネイを占領、日本軍には埋蔵資源が豊富なブルネイを軍港として利用する狙いがあった。
1942年、ブルネイ県知事に就任したのは、日本軍とは全く違う考えを持った軍人:木村強。就任直後、木村は当時のブルネイ国王の下へ国王から「何か希望はありますか?」との問いに、「現地のブルネイ人を1人私につけてくれませんか?」木村は、日本の国益だけを考えて占領するのではなく
ブルネイの発展に力を注ぎたいと考えていた。それを実現するためにブルネイ人を側に置き、共に行動することが最善と考えた。
国王が木村の部下に推薦したのは20代の若いブルネイ人青年。木村は占領国である立場にもかかわらず日本の国益だけを考えず、ブルネイの発展を第一に政策を進めていった。秘書として雇ったブルネイ人青年はとても優秀で木村を大きく助けた。そんな木村が行った政策が、例えば、ブルネイで天然ゴムが採れる事に注目し、現地に工場を建て雇用を生み出したり、道路、電気、通信などのインフラ整備を進めるなど、当時、ジャングルに覆われていたブルネイの発展に大きく尽力した。
しかしブルネイを利用したい日本軍からすると、木村の政策はブルネイ人に甘く無駄なモノに映っていた。「私は他国の人間を奴隷のように扱う事を日本人として恥ずべき事だと考えている。彼らの独立につながる手助けができれば今後彼らも我々を助けてくれるだろう」
木村は目先の利益を求めず、日本人としての品格や誇りを持って接し、助ける事こそが後の日本の国益につながると考えていた。さらに木村は首狩り族:イバン族の生活整備も進めようとしていた当時、首狩りを行っていたイバン族は、同じブルネイ人からも敬遠されていた。木村はそんなイバン族もブルネイ人が一丸となり、発展を目指す事こそが国益につながると考えた当時、イバン族にとって日本軍は侵略者であり、殺し合いを繰り広げた敵
そんな状況の中でも木村は、危険を顧みず何度もイバン族の下へ足を運んだという。木村はイバン族に信用してもらうため、ジャングルに水道や電気を通し、インフラを整備。さらに木村は国王に掛け合い、ブルネイにおけるイバン族の地位向上を訴え続けた。こうして木村は70年以上経った今でもイバン族から尊敬される存在になった。
ブルネイに発展に大きく貢献した木村は、県知事に就任してからわずか1年で転勤が決まりブルネイを離れることになった。そしてその別れの場では、現地の官僚は人目をはばからず男泣きしたという。さらに苦楽を共にし、一緒に働いてきたブルネイ人秘書も泣きながら、「あなたから学んだようにこの国を立派な国へと成長させます」と誓った 1964年、木村は地元の宮城県に戻り検事の職に就いていた。
ある日のこと、東南アジアを飛び回る商社マンが木村の下に「ブルネイ県知事をつとめていらっしゃった…木村さんですか?」「はい」「ブルネイの国王があなたを探しています」
木村は22年ぶりにブルネイに渡り、新しい国王の下へ向かった。その新国王こそ、22年前、あの秘書をしていたブルネイ人青年だった。ブルネイ県知事に就任した当時、国王は木村の秘書に自分の弟を推薦。現在の国王の父親にあたる「私はあなたから多くのことを学びました。そのおかげで日本にはまだ及びませんが、ブルネイも発展しつつあります」。「木村さんブルネイで働いて頂けませんか?」 「もう一度ブルネイの為に力を貸して頂けませんか?」 対し木村は「私もずいぶん年を取りました。ですからこれからは遠くからブルネイ国の発展を見守っています」 「分かりました。またお会いできるといいですね」
今も多くのブルネイ人は親日家であるという
「彼らの独立につながる手助けをできれば…きっと今後彼らも我々を助けてくれるだろう」木村の言葉通り、日本とブルネイの関係は良好、約9割ものの天然ガスが日本へ輸出されている。
出典元: http://nakeru.eco.myblogs.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%BC%B7/