佐々井 秀嶺(ささい しゅうれい) インド仏教の頂点に立つ日本人
1987年7月、インドで不法滞在で逮捕されたが、ナグプールでは10万人の全市民抗議集会が起こり、一触即発の危険な情勢となった。1ヶ月で60万人の署名が集まり、ついには国籍取得運動に盛り上がった民衆の声を無視できなくなったラジブ・ガンジー首相は、翌年4月、佐々井師のインド国籍取得を正式に認めた。
その後、釈尊成道(悟りを開いた)の地であるブッダガヤーの大菩提寺をヒンドゥー教団『ギリ・マハント』から仏教徒の手に取り戻すための運動を展開。十次にわたる大菩提寺解放闘争の末、大菩提寺管理委員会は実質的にインド仏教徒の手により運営されつつある。
現在はナグプール一円の龍樹連峰及び大乗仏教の創始者ナーガルジュナ(龍樹菩薩)の根本道場跡と目される、ナグプール近郊のマンセル仏教遺跡の発掘を続けている。そして、いつか龍樹老人の言った「南天鉄塔(大日如来より伝えられた密教の根本教義を秘蔵したと言われる塔、空海はその実在を明言している)」と相まみえる日を待ち望んでいる。
谷底ライオン
インド不可触民を救う日本人仏教指導者_佐々井秀嶺
杉山龍丸
祖父は山県有朋や後藤新平などの参謀を務めた杉山茂丸。
1940年に陸軍士官学校を卒業、配属されたボルネオで終戦を迎える。インドのネール首相の要請で、インド人子弟の砂漠緑地化指導にあたる。その事業に、日本国内に持っていた代々伝わる農地などの全財産をつぎ込む。
インドで飢餓により多くの人々が亡くなるさまに心を痛め、1950年代末、台湾から蓬莱米を譲り受け、不可能といわれたインドでの稲作を成功させた。1960年代に蓬莱米はインド全土に広まり、米と麦の二毛作により、インドの農民の生活は飛躍的に向上する。この貢献により、インド政府から仏舎利を贈られる。
福岡先人金印記念館ウェブサイト
「世界から絶賛される日本人」黄文雄、徳間文庫
インド、ニューデリーの地下鉄
日本の援助(ODE、約70%)で作られ、そのことが駅に大きく書かれている。麻生元総理大臣が外務大臣として訪問した際に、それを地下鉄公団の総裁にお礼したところ、逆に次のように改めて御礼をされたという。
当時、自分は技術屋のトップで、現場説明のために集合時間である8時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者たちは既にみな作業服を着て整列していた。我々インドの技術者は、全員が揃うのにその後十分以上かかった。
八時集合とは、八時から仕事が始められることだと言われた。悔しいので翌日7:45に行ったら、日本人は既にみんな揃っていた。以後、このプロジェクトが終わるまで日本人が常に行っていたのは、”NOUKI” という言葉だった。
そしてこれだけ大きなプロジェクトを、予定よりも二ヵ月半も早く終わらせた。そんなことはインドでは初めてのことで、翌日からは運行担当者の人たちが来て、ストップウォッチを持ってきてはかり、地下鉄を時間通りに運行するように言われた。
秒単位まで意識して運行するために、徹底的して毎日訓練を受けた。その結果、現在インドの公共交通機関の中で、その鉄道だけが数分の誤差で運行されている。数時間遅れが日常茶飯事のインドにおいて、これは驚異のことである。
我々がこのプロジェクトを通じて日本人から得たものは、資金援助や技術援助だけではなく、むしろ一番大きな影響を受けたのは労働に対する価値観と美徳である。労働に対する自分たちの価値観が根底から覆された。日本の文化。それが最大のプレゼントだ。
今、インドではこの地下鉄を、”ベストアンバサダー”(最高の大使) と呼んでいる。