反日勢力のプロパガンダによるものか、世界的に見て日本は「お金」だけは出すという印象がありますが、実は「人」も出しているのが日本の実の姿です。
中国の四川省で起きた大地震には、専門家が集まった延べ80人の国際緊急援助隊が現地の救助活動に参加して、掘り出された遺体に整列して静かに黙祷を捧げる姿の画像は、反日が多い中国でも高い評価を受けました。
日本の海外青年協力隊はこれまでの45年間に延べ3万4千人を超える若者たちが世界86ヵ国で活動しました。
華岡 青洲 (はなおか せいしゅう)
(1760年~1835年) 江戸時代の外科医
東洋医学と、オランダ式外科医学を学び、手術での患者の痛みを和らげるために世界で始めて全身麻酔を開発。乳がん手術を世界で始めて成功させる。
北里柴三郎 (1853-1931) 医学者・細菌学者、従二位・勲一等旭日大綬章・男爵・医学博士。
「医者の使命は病気を予防することにある」 と確信し、予防医学を生涯の仕事とする。ドイツに留学し、ロベルトコッホインスティテュートで細菌の研究結果を次々に発表。中でも破傷風菌だけを取り出して培養する方法の確立と、血清を使った血清療法の発見は医学の歴史を変える。
屋井 先蔵(やい さきぞう) 1864年1月13日-1927年6月1日
私たちの生活に欠かせない乾電池。実は長岡の先人が発明したものです。電気・電子の分野で社会や産業の発展に貢献した歴史的偉業を表彰する「米国電気電子学会(IEEE(アイトリプルイー))マイルストーン賞」。長岡出身で乾電池の発明者・屋井先蔵の功績が認められ、この賞を受賞しました。
田原 淳 (たはら すなお 1873-1952)
1901年東京帝国大学医学部を卒業。1903年に私費でドイツに留学
心臓病の患者に使われるペースメーカーは、現在日本で年間4万件近くも埋め込み手術が行われています。田原淳が発見したのは、ペースメーカー開発のきっかけとなる、心臓が動く仕組み「刺激伝導系」です。
野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日 - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の細菌学者。福島県出身。
ロックフェラー医学研究所研究員。細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。数々の論文を発表し、多くの人命を救う成果を残してノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが...
田中 久重(1799年~1881年)
田中久重は、東芝の元となる会社を設立した人で、東洋のエジソンと言われるほどの発明家でもありました。
田中久重の会社には、現在の沖電気の創業者、宮田政治郎(モリタ宮田工業創業者)、池貝庄太郎(工作機械の池貝の創業者)、石黒慶三郎(アンリツ創業者の1人)などの優秀な人が集まっていました。
田中久重は、「からくり人形」や「万年時計」でも有名です。
「万年時計」は1851年に製作され、国の重要文化財に指定されています。
2004年に東芝、セイコーなどの研究者によって分析・復元され、レプリカが2005年の愛・地球博で展示されました。
復元作業には約1億円の費用と100人の技術者、最新の機材が投入されましたが、結局最後まで動かすことが出来なかったそうです。