お坊さんが偉いのは、人生を悟っていらっしゃるからだと思いますが、その中には殺生(生き物を殺してしまう) をしない(極力少なくする)というものがあるようです。
仏教では、殺生が最も重い罪のひとつだそうですが、人間は食事をしなければ死んでしまうので、普通は殺生をせざるを得ません。
肉でも野菜や穀物でも、それらは元々は生きていて、人間に食べられるために命を落としました。
そこでその殺生を自覚して発せられる日本語の「いただきます」の言葉の重みが感じられます。西洋の、相手の食事を考えるボン、アペティや、グーテン、アペティートをはるかにしのぐものだと思います。
お坊さんの場合は、とても質素な食事で殺生を最小限にとどめています。そして残すものなくお茶碗等を綺麗にしながら食べるので、洗う必要が少なくて環境にも優しいです。
そう言えば、昔のおじいちゃんおばあちゃんたちは、食後のお茶は、ご飯がなくなった後のお茶わんで飲んでいました。そして熱いお茶でふやけたご飯粒のこびりついたのを取って一緒に飲んでいました。
修行中のお坊さんでも、食事でわずかな殺生をしてしまいますが、何と食事で殺生がゼロの人たちがいます。
フルータリアンの人たちです。フルータリアンの人たちは、フルーツか、木の実しか食べないそうです。
フルーツも木の実も、何回でもなります。つまり母体は亡くならずに殺生がゼロなのです。
ベジタリアンやフルータリアンの人たちがそうするのは、自分の身体のためなのか、それとも食べられるものが可哀想だからなのか…
人間はついつい食べ過ぎて太ってしまいますが、殺生をなるべく減らすように心がけて、自分の身体に必要な分しか摂取しないようにすると、自然に痩せることができます。