ラダ・ビノード・パール(通称パール判事) インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長等を歴任。当時、極東国際軍事(東京)裁判判事
私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということが分かるはずだ。それなのにあなた方は自分らの師弟に、”日本は犯罪を犯したのだ。日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ。”
と、教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の師弟が、ゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
出展: Wikipedia、
”パール博士のことば”(東京裁判後、来日されたときの挿話) 田中正明著、
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ネルー インド初代首相
彼ら(日本人)は謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。
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「むしろ彼ら(日本人)が、ヨーロッパとほとんど交渉がなかったにもかかわらず、宗教という羊の皮をかぶった帝国主義の狼を見破る洞察力を持っていたことこそ、驚くべきことだ」
「アジアの一国である日本の勝利は、アジアの全ての国に大きな影響を与えた。私は少年時代、どんなにそれを感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年少女、そして大人が、同じ感激を経験した」
後に女性首相となる娘に宛てた手紙(父が子に語る世界歴史) から
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ラダクリシュナン インド第二代大統領
「インドが独立できたのは、日本のお陰である。インドのみではない。ベトナムであれ、ビルまであれ、インドネシアであれ、西欧の旧植民地であった諸国は、日本人が払った大きな犠牲の上に独立できたのである。我々アジアの民は、1941年12月8日をアジア開放の記念日として記憶すべきであり、日本に対する感謝の心を忘れてはならない」
出展:世界が語る大東亜戦争と東京裁判
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた」
日本経済新聞 昭和44年
嗚呼 大和 PART4 2:04
グラバイ・デサイ インド弁護士会会長・法学博士
このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。
インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。 インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。
(1946年・デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶、名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)
出展: 草莽全国地方議員の会
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インド人が語る日本「世界は日本をどう見ているのか」(2:34)
パンディット元国連総長 インド初代首相ネルーの妹
「日本を辱めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、これまで太平洋戦争がもたらしたアジアの民族主義への影響をことさら無視し続け、あるいは ”過小評価” してきた」
1989年、昭和天皇崩御の際に、日本人は2日間喪に服し、インド人は3日間喪に服した。
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」 黄文雄、徳間書店
ハビブル・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの(西洋人による)東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立したのは日本が育んだ自由への炎によるものであることを、ここに記さねばならない」
「世界から絶賛される日本人」 黄文雄、徳間文庫