北里柴三郎 (1853-1931) 医学者・細菌学者、従二位・勲一等旭日大綬章・男爵・医学博士。
私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、土筆ヶ岡養生園(現在の北里大学北里研究所病院)創立者兼運営者、第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)、私立北里研究所(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長並びに北里大学学祖、慶応義塾大学医学科(現在の慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、日本医師会創立者兼初代会長。
「日本の細菌学の父」として知られ、門下生からはドンネル先生との愛称で畏れられ、かつ親しまれていた。
出典: Wikipedia
「医者の使命は病気を予防することにある」 と確信し、予防医学を生涯の仕事とする。ドイツに留学し、ロベルトコッホインスティテュートで細菌の研究結果を次々に発表。中でも破傷風菌だけを取り出して培養する方法の確立と、血清を使った血清療法の発見は医学の歴史を変える。
出典: MOVE人体のふしぎ 講談社
屋井 先蔵(やい さきぞう) 1864年1月13日-1927年6月1日
電池の歴史は、1800年に発明されたボルタ電池から始まっています。その後、1888年に、ドイツのカール・ガスナーが乾電池を発明してから、飛躍的に電池の使い勝手が良くなりました。それまでの電池は、電解質に液体を使用し、持ち運びに不便だったので、ガスナーが液体を石膏の粉末に混ぜることで液体がこぼれないように改良しました。そのガスナーより先の1885年に、屋井先蔵が独学で乾電池を開発し、名づけの親でもあるようです。
出典: ニュートン2015年4月号
私たちの生活に欠かせない乾電池。実は長岡の先人が発明したものです。電気・電子の分野で社会や産業の発展に貢献した歴史的偉業を表彰する「米国電気電子学会(IEEE(アイトリプルイー))マイルストーン賞」。長岡出身で乾電池の発明者・屋井先蔵の功績が認められ、この賞を受賞しました。
IEEEは、アメリカに本部を置く電気・電子技術者による世界最大の学会で、学会員は世界190カ国以上に40万人超。世界中の電子、通信、電力、バイオなどの分野で指導的な役割を担っています。
マイルストーン賞は1983年に創設。優れた技術成果に光を当てるとともに、それを生み出した技術者に対する社会の理解と評価を高めることを目的としています。これまでに約140件が選定され、日本では富士山頂レーダー、電卓など18件が選ばれています。
今回は、日本の電池産業の誕生と成長への貢献が認められたもの。先蔵が起こした合資会社屋井乾電池と、株式会社ジーエス・ユアサコーポレーション、パナソニック株式会社が同時受賞しました。
出展: 長岡市公式ウェブサイト
田原 淳 (たはら すなお 1873-1952)
1901年東京帝国大学医学部を卒業。1903年に私費でドイツに留学し、マールブルク大学の病理学教室でルードヴィッヒ・アショフ(Ludwig Aschoff)に師事。
哺乳類の心臓筋肉について研究を行い、心臓刺激伝達系に重要な役目を持つ(田原結節、アショフ=田原結節)を発見。1905年、後に「田原結節」や「田原・アショフ結節」と呼ばれるようになる「房室結節」を発見し、心臓の刺激伝導系の存在を明らかにした。1906年その研究結果を『哺乳動物の心臓における刺激伝導系統』と題して発表した。この研究によって1914年帝国学士院恩賜賞を受賞。これにより100年以上、研究者の間で論争となっていたトーマス・ウイリスに始まる心臓拍動の神経原説とアルブレヒト・フォン・ハラーに始まる筋原説の対立に筋原説の勝利という形で終わらせた。
出典: Wikipedia
心臓病の患者に使われるペースメーカーは、現在日本で年間4万件近くも埋め込み手術が行われています。田原淳が発見したのは、ペースメーカー開発のきっかけとなる、心臓が動く仕組み「刺激伝導系」です。
出典:MOVE人体のふしぎ 講談社
つづく…